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12月の月

空を見上げて速度を落とした。
無数の星と浮かび上がる月。

懐かしい場所に辿り着いた。
小さな頃よく訪れた近所にある桜の木。

私は
その桜が良く見渡せる
近所のおばあさんの家に
よく入り浸ってた。

小学校低学年の頃の話。

その家はまだ井戸水で
水道独特の塩素の匂いがしなかった。
私はその家で飲める水が好きだった。

おばあさんは1人住まいで
先立った亭主の位牌に向かい
毎日長い時間お祈りをしていた。

春は桜。
夏は花火。
秋は焚き火。

そして冬は星を眺めた。

ゆったり流れる時間。
どこかほんのり甘い水。

月日は流れ
小学校高学年。

私はいつの間にか
おばあさんの家には
行かなくなった。



「どうしてここのお水は甘いの?」

「お月様がね、夜通し柔らかく照らしてくれてるからだよ」

「どうして私のおうちは甘くないの?」

「お月様の光が、届かない場所にあるお水だからだよ」



子供心に
おばあさんの言葉は
違う響きで胸に届いた。



「太陽と月は、どっちが偉いの?」

「誰が偉いなんてないんだよ。役割が違うだけさ」

「でもおばあさんは月の方が好きでしょ?」

「年寄りにはね、太陽の光は眩しすぎるんだよ」



ポケットから煙草を取り出して
やっぱりやめた。
ここの空気に紫煙は合わない。

私が高校生になったころ
おばあさんは病気で亡くなったと聞いた。

変わらないものなんて
きっとこの世にはひとつもなくて
移ろい行くものに流されて
目的地を見失いそうになる。

あの日私は
井戸水が廃止される事を知ったのだ。
おばあさんは少し悲しそうに
コップに水を注いでくれた。

それが悲しくて
その表情が悲しくて
私はあの家に行くのをやめたんだ。



「あの3つ並んでる星がオリオン座の腰の部分なんだよ」

「絵美ちゃんは本当に星が好きだねえ」

「おばあさんだっていつも星を見てるじゃない」

「私の見ていると、絵美ちゃんの見ているは、少しだけ違うんだよ」



おばあさんは
優しく笑って
浮かび上がる月を指差した。



「星もいいけど、12月の月は素晴らしいじゃないかね」

「お月様は何月に見ても変わらないよ」

「私には毎月毎日違って見えるけどねえ」

「季節で変わるのは星座だよおばあさん」



その時の私には
おばあさんが見ているものが
何一つ見えなかった。

12月の月。
おばあさんが求めたのは
遠い昔に誰かと見た月。
それは当然愛する人だろう。

その時の私には
そんな切ない気持ちが
分かるはずもなかったのだ。

桜の木の下。
ゆっくり腰を下ろし
私は鞄の中から取り出した
ミネラルウォーターを口に含んだ。

それは
塩素の匂いはしないけれど
どうやったって
あの水にはかなわない。

桜の木の根元
私は残りの水を撒いた。

見上げた夜空に浮かび上がる月。
ビロードのような夜空に浮かぶ
12月の月。

私は
私の愛する人と
違う季節を愛しているけど

おばあさんと
おばあさんの愛した人が愛しただろう
12月の月も忘れない。