海とエロス

煮詰まると海が見たくなるのは私の学生時代の頃からの習癖だ。
大学から、車を飛ばして日本海の荒々しい海を見に行く。
論文の堅苦しい文章で溢れた頭が、その押し寄せる波で砕けて、
体の中がゆっくり冷たい海水で満たされていく。
幾度、そんな風に海に洗われただろう。
だけど、東京にはそんな海がない。
車も処分して実家を出てきた。
私は爆発しそうな思いを抱えて、ただ静かにそれをやり過ごす。
いつかは、それが私自身を食いつぶすと承知しながら、
それでも、私は東京に居る。

アルバイトをしながら、毎日
「君の作品、僕は面白いと思うんだけどね、子ども向けじゃないんだよね。」
と言われて返される原稿を書いて、書き続けている。
この前の作品では、少年が死んだ。
その前の作品では、少女を殺した。
私の腕は、人の死ばかり描いて、
動物とのふれあいや、自然の美しさを子どもに伝えようとはしない。
人に対して何か表現する資格なんてない癖に、
それでも、私の頭はいつも冷たく横たわる少年や、少女を想像してスケッチし続ける。

今度の主人公は少女だ。
紅葉(もみじ)という名前の、美しい少女。
やがて結核になり、吐いた血に染まる手を見て
「まあ、紅葉のよう」と呟いて笑いながら死ぬ。
多分、この原稿もきっと没になるのだろうな、と思いながら
それでも、倒れ伏した少女の髪の一房一房、丁寧に色を重ねていく。

死は究極のエロス。
私がこんな作品を描く事にどうして、あの人は気づいてくれないのだろう。
いや、判っていて「僕は面白いと思うんだけどね。」なんて
適当なコメントであしらっているのかも知れない。
不器用な恋にはもう結果が見えているのに、
それでも、私は駒込にある出版社に通う。

嗚呼、海が見たい。
この不毛な感情を荒波で砕いて、バラバラにしてしまいたい。
波濤で千切れた私の体を見たら、あの人は少しでも悲しんでくれるだろうか。
それでも、それでも猶、私は海の見えない東京に居続ける。

monochrome / tomoakira