奇妙な遊び場

 上野動物園のカバのセクションに立ちながら
 "小人カバってほんとにいたんだぁ。"なんてぼんやり思っていた。
 日差しがまぶしくて、今まで自分のすべてだと思っていたあの小さい部屋が大したことないものだと思える。
 子供たちが「カバーカバー。」と指差して笑っているのを横目に見ていると、あの暗い狭い部屋がどんなものだったか忘れられそうな気がした。

 さっきまで、私は、狭いラブホテルの一室の中で恋をしていた。
 そこは何の変哲もないラブホテル。
 窓はあるのに、塗り固められて窓の意味をなさない。
 無駄に張り巡らされた鏡。
 そこが、私たち2人の公園であり、遊園地であり、動物園だった。
 そこだけが、わたしたちの共有できる唯一の場所だった。

 私と彼は付き合って3ヶ月。不倫ではない。
 私が、彼と出会ったときには向こうにはもうすでに妻とよべる人がいなかったので
 独身同士。そうなのだ、世間的には全然問題ない。
 それなのに、このラブホテルの一室だけが2人のすべてだった。

 最初は会社の飲み会の後だった。
 おじさんたちは、飲み会となると私についていろいろを聞きたがった。
 その日も、「恋人はいるのか?」
 だとか、「結婚はいつするんだ?」など聞いてくる。
 真面目に答えていたらキリがないので適当に交わす。
「私は、みなさんのアイドルですから。年も取らないし。結婚もしないですよ。」とお決まりのセリフを言う。
 すると、いつもなら皆"またバカなこといってら"という顔をして
「そんなことじゃ、どんどん年取るだけだぞ。」なんて笑われてこの話はおわり。のはずが
 隣に座っていた市川さんは
「いいな。アイドルか。付き合ってみたいな。」とボソリといった。
 それを聞き逃さなかったほかのおじさんたちは
「お前、失敗してるじゃねーか。」
「あぁ。まぁ。」
「若い子若い子って乗り換えていくなんて甘いぞ。」といわれながら
「はは。でも若い子のほうがいいですよね。」あまり興味のなさそうな顔で言う。
 私は、ふーんと思いながら市川さんの顔をちらりとみた。
 彼は、相変わらずたいした関心がなさそうな様子で焼酎に口をつけていた。
 ふーん。そうなんだ。

 市川さんは、新人の頃の教育係って言うやつだった。
 大した話をしたわけでもなく、仕事の話しかしていなかったが
 普段95%はそっけない表情でしれっと何かをやっているのに
 何かを説明しようとするときにだけ、必死に言葉を選んでいる顔をする。
 ギャップが好きだった。
 まぁ、それだけだったのだけれども。

 飲み会の帰り道。私は、打算的に市川さんの隣を歩き
「なんで別れたんですか?」と不躾な質問をした。
「彼女が僕のこと好きでね。」としれっと答えた。
「なんですかそれ?意味わかんないですよ。」
「わかんないだろうね。でも、そうなんだ。」
「へぇ。すごいんですね。」
「そうだね。」
 変な人?と思いながら隣を歩いていた。
 すると、「もうちょっと飲まない?僕飲み足りないんだよ。」
「いいですよ。」と言うと
「そう。」といって市川さんは、仕事をしている顔と同じ顔で私の手を握って歩いていった。
 私は、てっきりどこかの飲み屋にでも連れて行かれるのかと思ったらラブホテルに連れて行かれた。
 その間に、市川さんは特に何の言葉も発することもせずただもくもくと歩いた。
 会社のすぐそばのホテルだった。
「えぇ。なんか。会社の近くじゃないですか。やですよ。こんなところ。」
「ここじゃないとだめなんだよ。」
 わけの分からないことを言う。何の答えにもなっていないなぁ。
 私は、でもちょっとは期待していた。あぁ。嫌な女だなぁという嫌悪感を引きずりながら、後ろからついていく。
「座って。」と市川さんはソファを指差す。
 市川さんは、棚を開けてかちゃかちゃとお酒を用意している。
 その方に目を向けると随分たくさんのお酒がそろっている。焼酎の森伊蔵なんかもある。
「お酒の品揃えすごいですね。こんなホテルあるんですね。」
「あぁ。これ?ここ。僕の部屋だから。」
「は?」
「僕、ここに住んでいるの。」
「え?なんでですか?」
「妻との約束でね。まぁ君が黙ってついてくるとは思わなかったけど。」といってくくっと笑った。
「ラブホテルになんか住めるものなのですか?」
「妻の実家は資産家でね。資産家といっても成金。こういうラブホテルとかソープランドとか
 そういうのでお金がいっぱいある家なの。で、結婚したときこのホテルをもらったんだ。今は、妻との約束で住んでる。」
「へぇ。ラブホテルに住めなんて変な条件ですね。」
「大抵の女の子はこんなところに住んでいる男にはひくだろ?」
「そうですね。ちょっと気持ち悪いかも。」
「それに、僕は妻と"女の子と2人で会うときはこの部屋じゃないとだめだって"約束したんだ。」

 これはちょっと私の想像を絶するもので、コメントをうまくすることもできなかった。うつむいてただただ黙っていた。
 市川さんは私に、ワインを渡し隣に座った。

 ワインのグラスをくるくる回しながら「変だと思ったろ?」と私の顔を見ずに言う。
「そうですね。変ですね。」

 やばいなぁと思いながら、この部屋とかカメラとか仕掛けられてるんじゃないかなぁ?と思って
 さりげなく部屋を見渡した。カメラとかはなさそうな感じ。

「私が市川さんとこんな部屋にいたなんて知ったら私を殺しにきたりしちゃうんじゃないんですか?」
「この部屋にいれば大丈夫だよ。」とわけのわからない微笑を浮かべ飲み終わったワイングラスを市川さんは置いて「シャワー浴びてくる。」と出て行ってしまった。
 すごいなぁ。ラブホテルが家だったら展開もさぞかしはやいだろうに。

 私たちはもちろんこのなんだかいわくありげな部屋で寝た。
 彼のセックスはとても気持ちよく、あまり経験の少ない私でもとても相性がいいんじゃないかなと思った。

 こういう関係になって1ヶ月の間ずっと、そこのホテルの部屋でセックスばかりをしていた。
 彼は、従順に奥さんとの約束を守り続けていた。
 セックスの最中に
 彼は、ディズニーランドの秘密の話や砧公園でよく見かける仲のよさそうなカップルの話や動物園の話をした。
 ホテルの一室で聞く外の世界は温かくて幸せそうだった。2人で外に出ることは、とても簡単なことに思えた。

 だから一度、私からデートに誘う決心をした。
「動物園にでもいってみようよ。天気もいいし。」このセリフを言うだけで私は、1週間前から緊張し続けていた。
 しかし、彼からの答えは
「妻との約束だから。」
 予想していたものだったが絶望した。
 ある日、いつものようにラブホテルで待ち合わせをしていつものようにセックスをしていた。
 彼は、私と体をあわせながら
「小人カバとカバがいるの知ってる?」と言った。
「へ?」と一瞬われに返りながら
「どういうこ・・・」私の疑問文は続かない。
 彼の力が強くなりそんな疑問は私の喉の奥に消えていく。

 セックスが終わって腕枕で寝ているときにさっきの話を聞いてみた。
「さっき、小人カバがなんとかっていっていなかった?」
「うん。妻と見にいったんだ。カバって一種類しかいないと思っていたから
小さくて可愛かった。妻も喜んでてねぇ。ずっと2人で見てたんだ。」

 囚われているのはいったい誰なんだろう。
 この人の方こそ、奥さんを愛しすぎているんではないか?と考えが頭の中でうずく。
 私と体をあわせているときにふと思いつくようなことだろうか?

 なんだか不安になり私は彼に絡みつく。
 不安が頭をがんじがらめにするので彼を見つめ続けた。
 いつもならベッドの天井にある鏡が嫌で目を開けたことがほとんどなかった。
 彼がセックスの最中にどんな顔をしているのか知らなかった。
 彼はとても幸せそうな顔でいた。
 私は、ほっとした気分でキスしようと顔を近づける。後ちょっとの位置なのに一向に私とは目が合わない、けれど何かを見ている。私ではない誰かの顔を見ている。

 ようやくわかった。
 彼は、ここで私とセックスをしているわけじゃないんだ。
 奥さんとセックスしてるだけなんだ。

 この部屋には未来がない。
 こんな部屋が未来につづくわけがない。
 私には、この部屋しかなかった。
 彼にも、この部屋しかなかった。

 私は未来がほしい。市川さんと一緒にいればいるほど彼の未来が欲しくなっていた。
 だから、すがり付いてしまったのかもしれない。私が守る必要もない約束に。

 あぶないところだった。
 このままだと私も、彼と同じ呪いにかかったままこの部屋から出ることができないところだった。

 最後に一つ聞いて見たかった。
 "約束なんて存在したの?"
 でも聞けなかった。答えを聞いてもきっと何も変わらない。

 外に出よう。

 彼のホテルを出てそのまま、山手線に乗り込んだ。
 時間は?とみると3時半。

 はは。不健全な生活してたなと思う。
 あんまりわかってなかった。あの部屋は私の考える力を吸い取っていた。

 電車のアナウンスが聞こえて私は駅を降りる。
 今日は、土曜日かぁ。
 親子連れが歩いていく。
 こういうまぶしいところに出てくるのは久しぶりだな。
 太陽の光をあびるとさっきの悲しい気持ちを忘れてくるような錯覚がした。
 鳩にめがけて子供たちが走っていく。それから逃げるように鳩たちが私の方に向かって飛んでくる。
 私は、体をかがめながら鳩をよけ入場門の前についた。


 さて何からみようかな?と思いながらチケットを買う。
 小人カバ私も見に行こう。
 見てちょっとだけ悲しくなって終わりにしよう。
 上野動物園って書いてある門をくぐる。

ぽわり / うり