東京エックス

茨城の片隅で畜産を営む男がいた。

彼の名は橋本哲郎。
齢38歳。配偶者はまだいない。

配偶者がいないというより、恋人自体がいないというほうが正確であろう。
すでに初老の域に入った母親などはやきもきしつつ、
今日も息子に「孫が見たい」と見合いの話を持ち込んだりするのではあったが。

肝心の本人は見合いの写真をチラと一瞥すると
そのまま感心なさげに踵を返して厩舎へ向かう。

厩舎は木造で、かなりの築年数が経過していた。
祖父の時代から継いだ建物はすでに限界寸前。
閉まらなくなった窓枠を指でなぞりつつ、

「あっちもこっちも限界、限界ってね。」

問題は山積みだった。
やれ、病気だ、やれ、オーストラリア産がいいだの。
いろんな理由で商売はうまくいかず、
金銭的にも、母親の忍耐も、子孫を残すことも。
何もかもが男には疎ましかった。


男は、一定のストレスが溜まると
音楽に逃避した。
親戚の子供が夏休みに忘れていったCDを聴いて以来、
男は「X」のファンだった。




数日後。
男の元に一枚の案内状が届いた。

「関東畜産協会」からであった。

「第37回発表会開催のご案内」

これには見覚えがあった。
男は一度だけ以前参加したことがある。
発表会というのは体裁の名前で、
実際はただの懇親会であった。
人付き合いが疎ましく思える、この男にとっては
ひどくつまらないものであった。

しかし、開催地である東京は好きであった。
女性と全く縁のないこの男にとって、
前フリもなにもなく金銭のみで
関係がはじまり、そして快楽へ帰結する、
盛り場は確かに男をひきつけてやまないのであった。


・・・地元にもそういう店が数件ある。
しかし、そういうところに一回でもいけば、
たちまちせまい町内で噂になり、
どこも歩けなくなるのが哀しい事実だった。


気が付いたときには男は出席に○をつけて投函していた。




「わはは、ひさしぶりですなぁ、橋本さん。」
前回と同じく憂鬱な展開。
ただ今回はたった一つだけ違うことがあった。

「今回はウチの肉を振舞わせてもらいますよ。」

会長がそういって仲居さんに持ってこさせたのは
「東京X」という種類の豚であった。

口に運んでみる。

「・・・。」

言葉にできない程のうまさ。
豚でありながら通常の数十倍の霜降り。
甘くて、ふくよかで。

気が付いたときには会長の手を取り、
夜遊びに使う予定だったお金を握らせ、
一匹の東京Xを連れ帰ってる自分がいた。


畜産家としてこれほどの興奮は初めてだった。
譲ってもらった豚は雌で、
彼は名前を
「YOSHIKO」に決めた。
東京XのXからYOSHIKIをもじったのだろう。


それから数ヶ月が過ぎた。
彼は、異常とも言える情熱を豚に注ぎ、
周りの従業員から
「橋本さん、とうとう彼女ができましたね!」
などと、ひやかされるほどに彼は幸せだった。


そんなある日。

YOSHIKOの肌の手入れをしていた彼を大きな揺れが襲った。

地震である。
いつもならすぐに「引く」揺れがその日は長々と続いた。
しばらくすると、厩舎の中央の柱が乾いた断末魔の悲鳴をあげ、
男に倒れかかった。

男は倒れこんだ。
しかし、倒れた原因は、柱でも揺れでもなく、
一匹の豚の体当たりであった。
むろんYOSHIKOであった。

倒れ来る柱に脚がすくんで動けなかった男を、
YOSHIKOが身代わりになって救ったのである。

被害は甚大であったが、YOSHIKOは思ったよりダメージを受けてなくて
男はほっと胸をなで降ろした。

もしもこれでYOSHIKOがどうにかなったりしたら。

・・・どうするというのだ?
男は自問した。

厩舎の被害よりも豚のことを考えてる自分に
やや唖然としつつ、生まれて初めて感じるこの気持ちを、
彼はとまどいつつも受け入れるのであった。


それ以降の彼のYOSHIKOへの溺愛っぷりは
他の従業員もマユをひそめるほどで、
とうとう、彼以外の従業員でこんな協議がなされるに至った。

「橋本さんの様子が変だな。
地震の時に頭部を強打したのかも知れない。
交代でそれとなく注意して見ていよう。」


それから数日後。
やたら暑い夜だった。

クーラーをかけているにも拘らず、
寝苦しさが男を襲った。
だが男には理由がわかっていた。
YOSHIKOへの想いが身を焦がしているのだと。

そして男は決断した。

恋愛方面に奥手な彼にしては最速の決断とも言えた。

厩舎の中の豚舎に向かう。
さすがに従業員達も夜中にまでは、彼をチェックするわけにもいかず、
コトは秘密裏に行われるハズだった。

しかし、熱帯夜のせいか、一人の従業員が
起きてトイレに向かって歩いていた。

やがて、人影に気づく。

「あ、橋本さん。今日は寝苦しいですね!」

そう声をかけようかと思ったとき、
なにか尋常でないオーラを感じ、慌てて物陰に潜む。
その横を、やたらと荒い息遣いで男が行過ぎてゆく。

「・・・。」

男が視界から消え去るのを待って、
従業員は慌てて同僚の携帯にメールを送った。

「橋本さんの様子がおかしい。みんな豚舎に今すぐ来てくれ。」

数分後、5人の手勢が集まった。

「おいおい、勘弁してくれよ、こんな夜中に。」

みんなシャレにならんぞ、といった風である。

「とにかく豚舎に行きましょう。」


豚舎では。
蒼い月光の中、豚に語りかける一人の男の姿があった。

「オレはどうかしてしまったのかも知れない。」

そう一言だけ告げると、
豚の鼻面に自分の唇を荒々しく押し当てた。


「おいおい、何やってんだよ!橋本さん!」

そこに現れた従業員達が、慌てて男に飛びついて豚と男を引き剥がす。
だが、男の抵抗は激しく仕方が無く数人がかりで、
殴りつづけ、気絶させて事なきを得たのであった。



次の日の朝。

ベッドの上で目覚めた彼を、
顔中にばんそうこうを貼った同僚達が、
心配そうに覗き込む。

「すまなかったな、橋本さん。こうするしかやりようがなくて。」

だが、同僚達の謝辞にも全く男は耳を貸していない様子であった。

上半身を起こしながら、視線を窓の外に移す。

「・・・YOSH・・・いや、豚は?東京Xは?」

「スマンが、アレは今日付けで売り飛ばすよ。
もう手続きも済ませてある。」

「・・・そうか・・・。」



彼がこれ以降、誰かを愛することは(もちろん豚も)なかったという。

かるびぽてち