なつのよのゆめ

“この町も変わってしまったな──”

 それが、アナタの口癖でしたわね。
 ええ、確かに変わってしまいました。
 名前も風景も時代さえも、私たちが出逢った頃とは、まるで違う場所のよう。
 昔は、もっと小さな町が集まっていたモノでした。
 町内を一回りするだけで、すべての生活ができた時代でしたね。
 生活に必要なお店はもちろん、映画館だって寄席だって、何でも。
 隣町にさえ出かける必要がなかったくらい。

 ……本当に、小さな町でした。
 誰もが顔見知りで、今考えれば、とても小さな世界に生きていたんですね、私たち。
 贅沢なんて、させてもらった覚えはありません。
 それ以上に、生きるコトが大変な時代でしたもの。
 誰もが一生懸命働いて、親を養って子を育てる──それが当たり前の時代でしたから。
 それを考えても、この町は変わってしまいましたわね。
 いえ、東京という街そのものが変わってしまいました。
 ……昔は、こんな場所ではなかったのに。

 私たちのような老人には、今よりも昔の方がよかったと思います。
 もっとも、そんなコトはただの年寄りの愚痴にすぎませんわね。
 便利だという点では、私も今の方がありがたいですもの。それに文句はありません。
 ただ便利という点では、楽という点では確かに今の方がいいでしょう。
 けれど、ヒトのココロという点では、昔の方がはるかによかったと思えるのは、やはり私が年を取ったからなのでしょうね。
 私もこの町も、本当に変わってしまいました。
 ……イヤですわ、なんだかアナタの口癖が移ってしまったみたい。
 おかしいですわね、私だけ年を取って、アナタだけは昔のままで。
 本当、私だけがおばあちゃんになって、アナタだけは昔のままで。
 月日の流れるのは、まるで夏の夜に見る夢のよう──
 アナタがいなくなってから、いろんなことがありましたのよ。
 子供たちも大きくなって、自分たちの家族をちゃんと持って。
 孫たちも結婚して、今では子供を連れてやって来ます。
 私の身体が、もっとしっかりと動いてくれれば、私から訪ねたいところなのですけど、無理なモノは無理ですね。
 年を取るということは、“過去”という荷物を背負うことなんですから。
 だから、年を取るにつれて動くことが難しくなるのかしら?
 だから、子供たちは軽やかにいつまでも動き回れるのかしら?
 少しずつ少しずつ、思い出をたくさん詰め込みながら、ゆっくりと大人になっていくのでしょう。
 私も、そんな思い出があったから、これまで元気に頑張れたのかもしれません。
 アナタとの思い出は、私に取って決して重荷ではありませんでしたから。
 ──私は、シアワセだと思います。

 ……アナタは憶えているのかしら?
 年末が近づくと、そろって泉岳寺にお参りに行きましたよね。
 ええ、忠臣蔵で有名な、四十七士のお墓があるお寺です。
 義士祭は、いつも多くのヒトで賑わっていましたわよね。
 雪の降る、白い寒い季節──
 アナタはいつもこの駅で降りて、私を置いて一人で先に進んで行って。
 初めて、アナタとこの場所を訪れたことを思い出します。
 その時も、アナタは私の前を一人で歩いて行ってしまって。
 恥ずかしかったせいもあるのでしょうけど、若い男女が揃って出歩くなど、許されない時代でしたから。
 ──その時のアナタの背中を、今でも思い出せます。
 結婚して子供ができて、家族で毎年のように出かけましたわね。
 アナタと見た本堂は、残念ながら空襲で燃えてしまって、何年かして新しく建造されました。
 ……本当、この町は変わっていったのですね。
 現実(いま)を失って、思い出だけが残っていく──
 でも、仕方がありません。
 だって、あれだけの戦争があったのですもの。
 ──東京はあちこちが燃えてしまって。
 ──そして、アナタは帰ってこなくて。
 あの時から、アナタは年を取らなくなった。
 私だけが、おばあちゃんになってしまった。
 それでも、私はシアワセでした。
 アナタとの未来はなくなってしまったけれど、思い出が支えてくれましたから。
 ……私は、とてもシアワセです。
 
 けれど、アナタがいなくなって、ただ一つだけ変わらないことはあったんですよ。
 それは、泉岳寺へのお参りです。
 アナタと一緒に降りたこの駅で、私はアナタの背中を思い出しながら、毎年お参りに行っています。
 子供たちと、やがて孫たちと。
 時には、一人で向かうこともありました。
 ……思い出とは不思議なモノですわね。
 駅から泉岳寺に向かう間、私はとてもウキウキして、少女の頃に戻った気持ちになるのです。
 こんなおばあちゃんになったのにと、アナタは呆れるかもしれません。
 いえ、年甲斐もなくと怒るのかしら。
 ですけど、それは本当のコト。
 私は思い出の中で、いつもアナタと一緒に歩いて行くのです。
 想像の中で、アナタは時には手を繋いでれました。
 ──嬉しかった。
 もちろん、そんな思い出などありませんけど、想うくらいは構わないでしょう?
 生きていれば、一度くらい手を繋いでくれたのかしら。
 尋ねても、アナタは答えてはくれませんわね。
 凍てつく寒さの中、そんなコトを想いながら、私は毎年欠かさずお参りしています。
 アナタとの思い出をなぞりながら。
 アナタとの未来を夢見て。

 ……ごめんなさい。
 去年は、とうとうお参りに行くことができませんでした。
 体調が優れなくて。
 周囲の反対も大きくて。
 結局、私はアナタの思い出と歩くことはできませんでした。
 本当に、残念。
 ですけど、代わりに夢を見ました。
 アナタと一緒に歩く夢──
 寒さに震えながら、二人でいつもの駅を降りて、私だけ通い慣れた道を行く。
 アナタはやはり一人で私の前を歩いて。
 姿だけは、やはり昔のままで。
 周囲から見れば、親子のように見えたかもしれません。
 不似合いな私たちは、終始無言のまま目的地まで向かって行きます。
 ……ようやく、泉岳寺の山門が見えた頃です。
 アナタはそこで立ち止まると、ゆっくりと私に振り返りました。
 驚いたことに、その姿は昔のままではなく、どういうワケが年を取ったおじいちゃんで──アナタは照れるように私に手を伸ばして。
 私は、しっかりとアナタの手を握りました。
 繋がれた手の暖かさは、まるで夢とは思えませんでした。
 アナタは、私の思った通り……いえ、思った以上に優しかった。

“この町も変わってしまったな──”
 アナタが生きていた時代と、私が過ごした時間。
 けれど、私に取ってそれはどちらも大事な時間でした。
 できるなら、今年もまたアナタと一緒にお参りができたらと思います。
 ──けれど、今はまだ夏で。
 外では、騒がしいほど蝉が鳴いて。
 遠くで、駅のアナウンスが虚しく聞こえる。
 季節は、まだまだ変わることはありません。
 冬が、私は待ち遠しい。
 冬になれば、またアナタと歩むことができるのだから。
 この町で。
 あの駅で。
 その場所へ──

     ※     ※     ※

 ……雪。
 真夏に雪が降っている。
 そんなハズはない。
 季節は夏、今年もたまらないほど暑く苦しく。
 ──雪が積もる。
 白い、白い雪。
 吐く息は冷たく、けれど身体は決して寒さを感じず。
 たまらなくなって、老女は身体を起こした。
 羽根のように、軽やか。
 まるで重さを感じさせない。
 驚きながら老女は外に出て──そこに、アナタはいた。
 年を経た老人の姿で。
 老人は照れるように手を伸ばすと、二人の手はしっかりと繋がれた。
 ……暖かな感触。
 ……優しく交わされる笑顔。
 繋がれた手を見つめながら
 深く
 深く
 老女は、息を吐いた。

“──私は、とてもシアワセでした”

 想いは遥か空の彼方。
 ……なつのよのゆめ。

えす・ますたべの城 / 高嶺俊