穏やかな時間

アナタの指が優しく伸びて、私の身体を包み込む。
ぎこちない仕草で、アナタは私を求めてくる。
瞬間、私の中に生命は宿る。
――迸る、歓喜の声。
そして、私は紡ぎ出す。
……清冽で、穏やかな調べ。
……玲瓏で、柔らかな旋律。
(やあ、また逢えたね!)
私は、にこやかに語りかける。
私に許された、仮初の時間。
――脈動する解放。 
無邪気に微笑む、アナタの唇。
それが、私は好きだった。
キラキラとした、アナタの瞳。
それが、私は好きだった。
やがて終焉を迎える、限られたひと時の幸福感。
残された生命の炎を燃やし、私は音を奏で続ける。
(やあ、また逢えたね!) 
鳴り響く、澄んだ音色。
すべては、刹那の物語。
突然に魔法は終わりを告げ、私は無口な箱へと変わる。
――これが、私の本来の姿。
――これが、私の偽りの姿。
与えられた時間、仮初の生命を惜しみながら、私は最後にアナタを思う。
(……この生命が、すぐに甦りますように)
(……その時間が、永遠でありますように)
思いは淡く儚く消えて、アナタに届くことは決してない。
けれど、私は切なく願う。
(……この生命が、すぐに甦りますように)
(……その時間が、永遠でありますように)
私は静かに待ち続ける。
闇の中、ただひたすらにアナタを想う。
物言わぬ箱として、動くことなく歌うことなく。
新たな生命が吹き込まれる、その瞬間を夢見て。

     ※     ※     ※

あたしに取って、それは大切なモノだった。
望めば必ず答えてくれる、大事な大事な魔法の箱。
流れる音色に、どれだけ心が踊ったことだろう。
……清冽で、穏やかな調べ。
……玲瓏で、柔らかな旋律。
初めてそれを聞いたとき、私の心は感動で満たされた。
――なんて、キレイなんだろう。
自らの手で、仮初の生命を作り上げるという不思議さ。
それは、幼いあたしに様々な幻想を与えてくれた。
流れ出る音の美しさに、私は何度も何度も、飽きることなくそれを求めた。
鳴り響く、澄んだ音色。
すべては、刹那の物語。
成長するに従って、知識は感動を凌駕して、ありふれた日常に変えてしまう。
無機質な玩具の奏でる旋律を、あたしが聞くことはなくなった。  
訪れる現実に過去は色褪せ、淡く儚く消えていく。
そして、あたしは大人になった。
様々な出逢いがあり、様々な別れがあった。
与えられた時間は長く、残された時間は短い。
すべてが嬉しく楽しく、哀しく虚しく――
流れ行く膨大な時間の中、あたしがそれを見つけたのは、ただの偶然だった。
物置の奥で見つけた、古ぼけたオルゴール。
……初恋にも似た、ほろ苦い思い出。
セピア色の過去。
震える手で、あたしはゼンマイを回してみた。
(やあ、また逢えたね!)
――迸る、歓喜の声。
驚きに、あたしは言葉を失った。
――脈動する解放。 
吹き込まれた生命は、まるで何事もなかったように優しい調べを奏で始める。
(やあ、また逢えたね!)
……甦る、あの日の思い出。
包み込む、穏やかな時間。 
それは、まるで奇跡のようで。
過ぎ去った過去を愛でるように、あたしは何度も何度も、仮初の生命を吹き込み続けた。

えす・ますたべの城 / 高嶺俊