a chicken-and-egg problem

携帯電話の普及していないあの頃、
僕に与えられた制限時間は
たった1枚のテレホンカードだった。



「誰か一緒に帰る人いない?」
いつものようにキミはあっさりと言う。
別に誰を誘っているわけでもなく、
単純に一緒に帰る人を探してるだけ。
それが伝わって、少し寂しいような気がするくせに
でも一緒に帰りたくなってる自分を発見して少し癪に障る。

高校から駅までの道のりはたった7分。
でも僕にはその7分がすごく大切だった。
僕はキミのことがとても好きだったから。


梅雨の中休みのあの日、
キミははっきりと僕宛ての言葉を発した。
「ねぇ、駅まで一緒に帰ろうよ」
久々に活躍の場を与えられた太陽が
キミの横顔をまぶしく照らしていた。
僕はなんとも言えない幸福を隠しながら
帰り支度を始めてキミの待つ横に並ぶ。

「どうして今日は僕を誘ったの?」
喉まで出かかったそれが、どうしても言葉にならない。
他に何をしゃべっていいのかなんて考える余裕もなくて、
黙ったまま僕はキミの隣を歩いていた。
あと5分くらいで駅。
何か話さなくちゃもったいないという気持ちが
僕の気持ちを一層焦らせるばかりで。

そうしているとキミは突然僕の顔をのぞきこんで言った。
「どっちが先だと思う?」
何を言っているのかわからずに聞き返す。
「何が先なの?」
「だから、ニワトリとタマゴよ」
あまりの唐突さに僕は間の抜けた顔になったと思うのだけど、
キミにはそんなことなんてどうでもいいみたいだった。
「最近すごく気になってるの。君ならわかるかなって思って」
「うーん、どっちだろうね」
僕はそれだけ発したら、またキミの横で黙った。

そして駅に着いて別方向に分かれる二人。
僕にはニワトリが先か、タマゴが先かなんて問題は
正直どうでもよかったんだ。
ただキミと話したい、そう思った。
「今日の夜電話でもして一緒に考えようよ」
自分でもなんだかムチャクチャな口実だと思った。
でも意外にもキミは「そうね、20時頃に電話する」と言ってから
改札の向こうに歩いていった。


その夜の19時58分、僕は電話の前に立った。
多分キミは時間通りにかけてくるって思ったし、
その電話を家族に取ってほしくなかったから。

20時丁度、電話はならない。
家に着いてからひねり出したキミの質問の答えも
いつの間にかどこかに飛んでしまって、
僕の頭の中は真っ白だった。

20時03分、やっと電話が鳴った。
なんとなくキミからの電話でないような気もしたけど、
受話器から鼓膜に届く振動は
機械を通しても間違えようのないキミの声だった。


「家の電話、お母さんが使ってるから公衆電話からなの。
もらいもののテレホンカードだから、気にしないでね」
そう言われて、車の走り抜ける音が
時折かすかに聞こえてくることに気づく。
「そうまでして話しても答えを知りたいんだね」
笑いながら言うと、キミはちょっと怒ったような口調になる。
「もしかして馬鹿にしてない?」
「あはは、わかった?」
少しドキドキしてた僕の緊張はいつの間にかほぐれている。
そうなってしまえば、あとはもう時間が経つのはあっと言う間で、
気づけばニワトリのタマゴの問題はどこかに忘れ去られていた。

でも夢のような時間にはタイムリミットがつきもので。
「あ、もうすぐカードなくなっちゃうみたい」
キミが外で話してくれていることに少しの罪悪感はあったけど、
それでもこの時間が終わってしまうことは
僕にとってはすごく残念なことだった。
「やっぱり今日しかないよなぁ」
思わずつぶやく僕にキミは言う。
「結局ニワトリの話、しなかったね。
気になって今夜眠れなかったら君のせいにしよっと」
そんなキミの言葉は受話器を通って僕の右耳から左耳に抜けた。
今しかない、そんな気がして僕は意を決して口を開いた。

「あのさ、キミのことが好きだったんだ」

瞬間、制限時間がやってきた。
想いを告げた僕に返ってきたのは無機質な機械の音だけ。
思い切って伝えた言葉がキミに届いたのかもわからず、
僕はその場に立ち尽くしていた。


永遠とも思える長い空白の後、
右手に持った受話器が着信を告げる。
慌てて受話器に耳を当てると、
やっぱり聞き間違えようのないキミの声がした。
「ねぇ、さっき最後になんて言ったの?」
「あ、やっぱり聞こえてなかった?」
聞き返す僕にキミは何も答えなくって、
沈黙に耐えかねた僕がさっきの言葉を繰り返す。

「キミのことが好きだったんだ」

車の走り去る音が聞こえて、
キミがまだ公衆電話の前にいることがわかった。
最初にキミのとかしてくれた緊張が
いつの間にか戻ってきている。
だからキミはもう一度ほぐそうとしてくれたのかな。
「あはは、二回も聞けちゃった。ラッキー」
キミの笑い声にこわばった僕の表情がまた緩みかけたけど、
「で……」
そのキミの発した一文字の言葉で、その空気は途切れてしまって、
抑えようもなく速まっている鼓動に目の前がくらむ。
どんな言葉を返されても平気でいられるほど強くない自分に気づいて
電話を切ってしまいたい衝動にも駆られながら、キミの言葉を待った。
「過去形、なの?」

何を言ってるのかよくわからなかった。
聞き返した僕に、少し苛立っているような声でキミは答える。
「だから、『好きだった』って。今はどうなのよ」
朝の天気予報では、今夜からまた雨だと言っていたけど、
なんとか持ちこたえてくれたみたいだね。
そんなどうでもいいことを思いながらキミの言葉を反芻して。
「もちろん、今も好きだよ。現在完了進行形、かな」


翌日、梅雨前線はまた鬱陶しい雨を降らせた。
学校からの帰り道、僕はまたキミの横にいた。
「昨日は君のせいでやっぱり眠れなかったよ」
「それはニワトリの問題のせい?」
冗談っぽく尋ねた僕に、意地悪そうな笑顔でキミは答えた。
「そうね。きっとそのせいなんじゃない」



僕はずっと気づかなかったのだけど、
キミも僕のことをずっと好きだったんだってね。
そして僕もキミのことをずっと好きだった。
それがわかった今、思うんだ。
『どっちが先だったかなんてどうでもいい。
今、キミと僕がお互いに想い合えているのだから、
それで十分なんじゃないかな』って。

World With Words / Tomo