東小金井

武蔵野線を国分寺で乗り換えて東小金井へ向かう。
電車から降りるとつい周りを見てしまうのは、無意識に顔見知りを
探してしまうからだろうか。

ぼくは生まれてから21年間をこの地で育った。父親が起こした会社が倒産し
家を売却したのを期に埼玉へと移り住んだ。大学の卒業と同時だった。
大学が家から近かったこともあり、大学時代の仲間もまだ何人かはここに住んでいる。
そして何より地元の友達のほとんどがここに未だ住み続けているのだった。
就職し東小金井を離れても、長期の休みにはみんなここに帰ってくる。
ここはみんなの家があるのだ。

暇なときには家から歩いて10分のところに家がある友人を誘いドライブをしたりした。
時にはファミレスに行き、雑談に時間を費やすこともあった。今では何を話していたのかさえ
思い出すのが出来ないようなことだ。

その友人も大学の卒業と共に大手一流メイカーに就職し千葉へと引っ越して行った。
今でも時々メールが来ると毎日ヒーヒー言いながら過ごしているらしい。
ぼくも埼玉で日々の仕事に追われている。そんなとき時々ふと思い出す。
退屈でしょうがなかったあの日々を。何をするでもなく、けれど寝るのは嫌で
如何に時間を潰すかだけ考えていたあの夜を。

久しぶりの休日、「東小金井」へ戻ったぼくはふと寂しい気持ちになった。駅も街も
あのころと何も変わっていない。けれどこの街にあの友人はいない。
あの退屈でしょうがなかった日々へ
戻ることはもうできない。

そして気がつくのだ。退屈で仕方なかったあの日々こそ、今では手に入れることの出来ない
何にも変えがたい青春の日々だったということに。

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