荻窪カノン

わたしの荻窪嫌いには、ちゃんと理由がある。
以前(吉祥寺にブックオフが出来る前だから結構前だ)は週一くらいで通っていた。カッコ内の言葉でわかるように、目的地はブックオフ。特に買うものがなくても、ふらふらと店内を回っているだけで面白い。そんな中である日偶然、ナッツに会った。
総武線沿線、特に新宿三鷹間にはアーティストが多く住んでいたりする。ナッツはDというインディバンドのドラマーだ。彼もご多分に漏れず、荻窪在住アーティストだったわけだ。Dのライブにもちょこちょこ行っていたわたしはナッツとも顔見知りで、会ったついでだからと、近くのコーヒーショップに入って一時間ほど世間話をして、別れた。
翌日、学校へ行くとなぜだかわたしが年上の男の人と浮気してるというハナシが飛び交っていた。付き合って三ヶ月の彼氏は、わたしの言い分も聞かずに一方的に別れると宣言して去って行った。迷惑なデマを流した犯人は、クラスで一番口が達者な内海という女だった。
そしてほどなくして、Dが解散した。ファンの間で囁かれた噂ではどうやら、ナッツが地元仙台に残してきた幼馴染みの彼女の家に婿養子に入ることになり、東京にいられなくなったのを機会に、ということだった。どこまで本当かはわからない。
よくわからないけれどとにかく、わたしが貧乏くじを引かされたことだけは、確からしかった。
ナッツと話をしただけのことがどうして浮気になるのかわからなかったが、彼氏にも未練はなかった。だから、わたしが噂を流した犯人の内海を嫌う理由も筋合いも、別になかった。けれど、もともと好きにはなれなかった内海という女を、許せないと思うのに充分な動機は与えられたと思った。
よって、わたしは内海を嫌った。
よって、わたしは内海の住んでいる荻窪を嫌った。

しばらく避けていた荻窪にも、どうしても欲しい本があったせいでやむなく立ち寄ることになった。廃刊になっていて、復刊の見込はない本で、吉祥寺界隈の数多の古本屋を探し、中野あたりまで遠征しても見つからない。
「まぁ別に、内海に会う確率が100%なわけでもないし」
そんなわけで、久しぶりにその地に降り立った。
奇跡的に、本はすぐに見つかった。拍子抜けするくらいに。ついでに、結構好きだと思いつつ買っていなかったアーティストのCDを格安で見つけてしまった。ものすごくテンションが上がった。
店内を巡り、会計を済ませる。知人には会わない。店の外に出たとき、思わず注意深くあたりを見回してしまったが、もちろん、内海にも会わない。
虫が知らせた、とでも言うのだろうか。何となくそのまま隣の書店に入ったわたしは、ほとんど信じられないものを見たみたいになった。五年間新刊を出さなかった大好きな作家の待ちに待った新刊が平積みされていたのだ!
荻窪エライ!素晴らしい街だ。気に食わない女が一人いたところで、問題なんてないじゃないか。
当然それを買い(これも実に奇跡的なのだが、わたしの財布には珍しく諭吉が入っていたのだ)、そう言えばシャンプーが切れていたと駅下のマツキヨに向かおうとしたところで、道路沿いに設えられた宝くじ売り場から駅に向けて歩き出した少女が、ミッキーマウスのプリントされた財布を落としたのが目に入ってしまった。幸運続きのわたしは、瞬間的にこれを拾うことにおける利得を思いついてしまったが、とにかくそんなことは臆面にも出さず、落とし物に気づいていない少女を追い、声を掛けた。
「ちょっと、あの、財布、あなたの!」
「えっ、あっ、どうも」
『あ』
声が被った。振り向いた少女は、内海だった。
「なんだー、あんただったのー。よかったぁ、ありがとーねー」
間延びした愛想笑いを浮かべる女。
ちくしょう、気に食わない。
前言撤回。荻窪、最悪!
「ありがとー。お金ほとんど入ってないんだけどさ、宝くじ買ったからさぁ。ねぇ、こういうのってさぁ、こうやって続き番号じゃなく買う方が賢いと思わない?あ、じゃあお礼にさ、これあげるわ。それじゃね。急ぐからー」
わたしが口を挟む間もなく喋り捲り、強引に買ったばかりらしいくじの一枚をわたしの手に捻じ込むと、そのまま内海はさっさと駅の階段を降りて行ってしまった。
わたしは呆然として、それから憮然とした。
そして金輪際、ここに来ないと思った。

それから一年。わたしは荻窪で悠々と暮らしている。内海からもらった(というか、押しつけられた)くじでなんと一等が当たってしまったのだ。それもこれも荻窪のおかげ、ってわけで、こちらに越して来たのだ。え?当たりくじのことで内海と揉めなかったかって?あの後すぐで、彼女はイギリス留学に行ってしまったからね。わたしにくじをあげたことすら、覚えているかも怪しいし。そんなわけで、ルミネのデリで夕飯の買い物なんてしながら、わたしはここでシアワセに暮らしている。そして心から思う。荻窪最高!って。

SADOMASOCHISM / しん