不公平な世の中

開場作業が滞りなく進んでいく中で、レジに突っ立ってホールの中をぐるりと見渡した。
新宿NSビルのNSイベントホール、詰め込まれたブランド品の数々。
常連だけに送られるSALEの葉書を持って、これから客が大勢やってくる。

私はその会場で使われるレジスターを販売している小さな会社のOLで、
今日はこのセールに応援にきた身だった。
私も、このブランドの時計を彼に貰って、大事に身につけている。
持っているのはその時計だけだ。
外資系ブランドのその時計は、6万もした。
小さな会社のOLの私には、とてもじゃないが常連になる事なんて出来ない。

10:00になった。
開場を今か今かと待ちわびていた女性たちの群れが、どっと入り口に押し寄せる。
アルバイトの子達を見て回り、レジの操作に問題はないか確かめる。
「美園さん、すみません」
と、声を掛けられた。
さっそく走ってバックを持ってきたお客さんが並んでいる5番レジ、後藤さんだ。
「どうしたの?」
「バーコードが付いていないんです」
私が尋ねると、後藤さんは焦って商品を私に差し出した。
確かに値札がついていない。
事前の研修で、こういう時はどこかに記載されている品番から値段を探すので、
私に聞くように、と言ってあった。
第一号からこれでは先が思いやられるな、と思いつつ、
私はリストを取りにカウンターへ走った。

12:00になった。
アルバイトの子達に3交代で昼食を取って貰う事になっていたので、
後藤さん、浅田さん、飯塚さんらと、私も一緒に、控え室でお弁当を食べる事になった。
冷えたご飯は喉をなかなか通らず、飲み下すのに時間がかかる。
アルバイトの皆はそれぞれ仲良くなった様で、
私の所に並んだお客さんの持っていたショルダーは3万だった、
セルジオ・ロッシの靴は1万4千円だった、と
普段、滅多に買う事の出来ないブランド品が50%オフになっている事に、
興奮して会話をしている。
私が黙って彼女たちの話を聞いていると、
「美園さん、お昼食べ終わったら会場覗いてきていいですか?」
と浅田さんが私に尋ねた。
「ええ、いいわよ。もし買ったら、レジでレシートを袋にホッチキスで留めて貰ってね」
私は曖昧な笑顔で彼女に返事をした。
どうもこの、浅田さんという子が私は好きではないのだ。
事前研修の際も、どこかぼんやりした態度で話を聞いている、という感じで、
誠実さが足りない、と思う。
「私、今日銀行のお金おろしてから来たんだー」
とはしゃいでいる浅田さんは、この前のぼんやりとした彼女とは別人のようで、
何を考えているのかさっぱり判らなかった。
私はまだ残っているお弁当の蓋を閉じて、
「ごちそうさま、先に仕事に戻るわ」
と言い、若い子の間から逃げるように控え室を後にした。

20:00になった。
閉場のアナウンスが流れて、私は少しホッとする。
皆それぞれ慌ただしい一面もあったが、
なんとか大きな問題もなく一日目を終える事が出来た。
最後のお客さんが警備員に従われてホールを出て行くの見ながら、
「それでは、マニュアル通りにレジを締めて、ジャーナルを巻き取って下さい」
と私は指示を出し、自分が使っていたレジの閉鎖作業に取りかかる。
束になったクレジットの支払い票。
一体今日一日で、何百万のお金が動いたのだろう。
せっせと手を動かしながら、そんな事を考える。
この会場に来る為に、常連になる為に使ったお金、
それは私のボーナスなんて、軽く超えてしまうだろう。

すべてのレジの閉鎖作業を終えて、
私はアルバイトの子達を集めてミーティングを行う。
今日あったクレームや、その対策等を伝えて、「明日も宜しくお願いします」とまとめる。
それぞれ荷物を持って「お疲れ様でした、失礼します」と
控え室から出て行こうとする子達の中で、なんだか浅田さんの様子がおかしかった。
落ち着かず、彷徨う視線は時々私の方を伺っては、そらす。
ピン、ときた。

浅田さんのそばに近づくと
「お疲れ様でした」
と、焦ったように私の横をすり抜けようとする腕をつかんで、早口で言った。
「待ちなさい、そのバックの中身、見せて貰っていいかしら?」
浅田さんは一瞬びくっとして、体を固めた。
その体から大きなトートバックを奪うと、中から値札の付いたバッグが出てきた。
やはり、こっそり忍ばせていたのだ。
一緒にいた他の子のバックもあらためさせてもらって、
私は浅田さんの腕をつかんだまま控え室に戻った。
彼女は諦めたように大人しくついてきた。

「どうしてこんな事をしたの?」
浅田さんは俯いて、涙を零すばかりで答えようとしない。
私としても、あまり酷い事を言いたくないので困ってしまう。
「どうしても欲しかったの?」
「・・・これと同じものを、別れた彼に買って貰ったんです、倍の値段で」
浅田さんは俯いたまま、低い声でそういった。
まるで吐き捨てる様だった。
「だからって、取っていい理由にはならないわよ?」
「美園さんだって、このブランドの時計持ってるじゃないですか」
「関係ないでしょ」
「だって、それしか彼との思い出がないんだもの!」
「浅・・・」
急に激昂した彼女に、私はとまどった。
「誕生日にやっとねだってねだって、買って貰った唯一のプレゼントなのに、
今日買ったら半額なんて、大切にしてたのがバカみたい!」
浅田さんは私からバックをひったくると床に叩き付けた。
「世の中、なんでこんなに不公平なのよ!」
ヒステリックに叫ぶ彼女が私は怖くなって、部屋の外で待っていて貰った警備員を呼んだ。
走ってきた警備員に取り押さえられながら、なおも浅田さんは暴れている。
それでも男の人の力に勝てる筈もなく、次第に弱々しくうなだれて連れて行かれた。

私は乱れている胸をおさえて、その場にしゃがみ込んだ。
「なんだったんだ」
ひとり、呟く。
「不公平?私だってそう思うわよ」
異様にむしゃくしゃして、ドアにパンプスを投げつける。
ガンッという音が広い部屋に響いた。
もう片方を投げつけようとして、彼に貰った時計が目に入り、力が抜けた。
そして、涙が溢れて止まらなくなった。

彼は、決して奥さんと別れないだろう。
若くなくなってきた私を捨てて、何事もなかったように家庭に戻る。
そして彼の稼いだ金で、奥さんはブランドものを買い、贅沢な生活を送るだろう。
不倫なんて不毛な関係を続けて、独り身でいる私よりも、ずっと裕福で、無知で、幸せで。
考えただけで、憎しみで目の前が真っ赤になった。
「私よりも先に、彼に出会っただけの存在の癖に」

飛んでいった6万の時計は、華奢な音を立ててドアにぶつかって落ちた。
そんな儚い音なんて、神様には届かない。
どうしたら幸せになれるんだろう、と絶望しながら私は涙を流し続けた。

monochrome / tomoakira