再生

照りつける太陽と照り返すアスファルトの間、
道行くスーツ姿の人たちが眩しそうに目を細めている。
薄暗く冷房が効いた店内とはまるで別のその世界を横目に見ながら
彼女はアイスカフェオレを飲み干し、口を開いた。
「春も秋も冬も嫌いじゃないんだけどね」
そこまで言って彼女は視線を僕の方に向ける。
「でもやっぱり夏だけが好きなの」

ガラスの向こうから車の走り去る音。
かすかなそれが、なぜだかやけにうるさい。
心がくすぐられているような気分になったけれど、
それがどうしてなのかはよくわからなかった。

いつものようなバカな冗談を思いついた僕は、
その不思議な感覚をとりあえずしまい込み、
僕の方をじっと見続ける彼女に向かって口を開く。
「僕のことは好きじゃないの?」
そう言った僕は多分にやけていたのだと思う。
案の定、彼女はかすかに笑いながら「バカね」と言った。

二人で少しだけ笑って、
それから僕が先に言葉を発する。
「どうして夏が好きなの?」
不意の質問に彼女は少し驚いた様子を見せた。
「え、だって……」



鮮明なまま再現できるのはいつもここまでだ。
3年も前のことだから仕方ないと言えばそれまでだが、
何度思い出してもこの先が曖昧になってしまう。
彼女はなんて言ってたんだっけ。
「いいことが起こりそうな気がするから」
ううん、何か違う。そんな言葉じゃなかった。



彼女は医学部を目指して勉強をしていた。
理系の彼女はやけに理屈屋で、
夕焼けを眺めて僕が「綺麗だね」と言えば、
「あれは光の散乱が……」
なんて感じに説明を始めたし、
一緒に花火を見に行った時もそうだ。
「綺麗だね」と僕が言っても、
「あれは炎色反応が……」
というように説明を始める。
いつもそういう感じのやりとりばかりで、
僕が綺麗だと言ったもののことごとくに
彼女は一度たりともうなずきも首を振りもしなかった。

そんな彼女が夏に惹かれた理由はなんだっけ。



3年前の夏、彼女の通う予備校近くのカフェによく通った。
外に目をやれば、靖国通りの慌しい車の流れ。
中に目をやれば、彼女の周りにはゆったりとした時間。
そんな中、僕はぼんやりとした頭で彼女とよく話していた。

彼女と「別れた」のはその夏のこと。
その日以降、市ヶ谷駅で降りたことはない。
かなりの時間が経つというのに、
大学からの帰り道で
下りるチャンスは何度もあったというのに、
たった一度も降りることができずにいる。

ただ、真夏の太陽と雲1つない空の下では
決まってあの日の言葉を思い出したくなった。
結局は正確に浮かんでこないあの続きに
もどかしい思いをさせられるだけなのだけど。

数時間前もそう。
鮮やかさを失い霞んでいく映像の中で、
かろうじて彼女の唇の動きを追ってみてもダメ。
すごくもったいないような、
でもすごく悔しいような気持ちで満ちる。

だからだと思う。
空が青みがかってきた頃に
すごく星が見たくなって、
気づけば僕は川原に向かっていた。
もう記憶の中の存在でしかないけれど、
今度こそ彼女に「綺麗だね」と言わせたかった。



こうして仰向けに寝転んで
何時間も星の動きを追っていると、
地球が自転していることが感じられた。
動いているのは星ではなく僕なんだ、
その事実にたまらなくなって呟く。
「綺麗だね」
空に向かって、星に向かって。
もし彼女が聞いていたらやっぱり
「あれは核融合が……」なんて説明を始めるのかな。

このまま夜が明けるまでこうしているのもいい、
そんな気分になってくる。
帰りたくないってわけじゃない。
ただ星の瞬きの1つ1つが、
彼女のように思えてくるから。



不意に携帯電話が鳴って、メールの着信を知らせた。
感傷に浸っていた時間から急に現実に引き戻される。
『おめでと~!』
3ヵ月ほど前に知り合った大学の後輩、
2つ下の女の子からお祝いの言葉。
絵文字や顔文字で埋まったメール。
時計は丁度0時を示していて、
今日が僕の誕生日であることを思い出させた。



彼女も僕の誕生日になってすぐにメールをくれたっけ。
絵文字や顔文字なんて1つもない。
想いをとても大切に文字だけに込めた、
すごく彼女らしいメールだった。

そんな風に彼女のことを考えると
僕の生まれたこの日を本当に大切にしてくれていた
彼女の思いが今さらになって伝わってきて……。
僕は不意に思い出してしまった。
彼女が夏を愛した理由を。
そして、やっと理解することができた。
彼女が話した言葉の意味を。

僕がこの星空にもういない彼女の姿を見ているように、
彼女にとっては僕が夏そのものだったのだ。
「素敵な何かが『また』生まれてきてくれるような気がするから」
彼女は確かにそう言ったのだ、
しっかりと僕の目を見据えながら。



あの夏の日にかかっていた霧が晴れて、
まるで彼女がすぐ近くにいるような錯覚に陥ると、
本当に彼女の声が聞こえたような気がした。
「亡くなった人が星になるなんて、なんの根拠もないわ」

その言葉で帰らなくちゃいけないように思えてくる。
僕はもう星空を見るのをやめて起き上がり、
すぐそばで静かに流れる川に沿って歩き始めた。

歩きながら、あの子のメールを読み返す。
『どうせ暇してるんでしょ?
たまにはうちのキャンパスにも遊びに来なさい!』

彼女が通うのは市ヶ谷キャンパス、だったっけ……?
あの駅で降りるのかな。降りられるのかな。
そんなことを考えながらも指は軽やかに動いて、
返信の文章を打ち終える。

打ち終えた文章を読み返す必要すらない。
推敲の必要があるわけもない。そう思った。



もう一度だけ星空を見上げてから、
僕は送信ボタンを押した。

World With Words / Tomo