夏花火

アスファルトに寝転がって空を見た。
背中越しに、昼の日差しの残滓を感じる。
ホッとする暖かさは、ヒトの肌を思わせた。
吹き抜ける風は心地よく、うっかりすると眠りに落ちそうになる。
……まだ、早い。
しばらくの時を置いて、轟音と閃光が視界を眩しく染めた。
瞼に焼きつく夏の花火。
暗闇を照らす刹那の美。
花火の輝きに、ボクはぼんやりとキミを想った。

     ※     ※     ※

思えば、花火のようなキミだった。
一瞬に見せる表情は美しく、けれど切ない儚さを持っていた。
ボクのコトバに無邪気に微笑むキミ。
くだらない冗談に、本当にキミはよく笑った。
眩しい日差しの中で、キミは明るく微笑んだ。
そして、少し咳をする。
慌てるボクに、キミは「……大丈夫だよ」と小さな声で呟いた。
シアワセと呼べる時間は長くはなかった。
ママゴトのような生活は長くはなかった。
暖かな世界は、冷たい事実と背中合わせに過ぎていった。
どれだけキミを愛していたのか、わからない。
どれだけキミが愛してくれたか、わらかない。
失った悲しみは計り知れない。
「──わたし、長く生きられないの」
おどけるように、キミは笑う。
「──わたしといても、絶対にシアワセになれないよ」
涙で震える声で、キミは告げる。
ボクは、そんなキミを強く強く抱きしめた。
周囲の反対を押し切って、ボクたちは結婚した。
小さな教会で、ボクたちだけでひっそりとした式を行った。
しきりに遠慮するキミに、ボクは奮発して、とびっきりのドレスを着せてあげたね。
指輪を交換する頃には、涙があふれてたまらなかった。

(……病める時も健やかなる時も、汝は彼女を愛すると誓いますか?)

誓います。
彼女に残された時間がわずかだとしても。

(……死が二人を別つまで、汝らを夫婦と認めます)

ええ、ボクたちは夫婦であり続けます。
ありがとう、カミサマ。

どれだけキミに助けられたか、わからない。
どけだけキミが救われたのか、わからない。
ボクは本当にキミが大好きだった。
シアワセだったかな?
シアワセだったよね?
ボクのコトバに、キミは満足そうに頷いて。
……消えた。
花火のように。
儚く切なく、ただひっそりと眠るように。

     ※     ※     ※

空白の時間を、ボクは過ごした。
思い出だけを残して、キミはいなくなった。
一人で過ごす時間は長く、一人になった部屋は広くて。
ぼんやりと、空を眺める時間が増えた。
しばらくして、ボクは一枚の手紙を見つけた。
封筒に書かれた宛名はボクで、差出人はキミだった。
震える手で、ボクは手紙を読んだ。
涙がとまらない。
こんなにも、キミはボクを愛してくれていたんだ。
こんなにも、キミはボクを想ってくれていたんだ。
──ありがとう。
──アリガトウ。
何度も繰り返されたコトバ。
最後に

……ゴメンね。

と綴られていた。

一緒にいられなくて、ゴメンね。
あなただけ残してしまって、本当にゴメンなさい。

手紙の他に、一枚の紙切れが入っていた。
離婚届だった。
ボクが書くところ以外が、丁寧に埋められている。
用紙の上に、小さな文字で

“わたしの思い出と別れて、あなたはシアワセになって下さい”

と書かれていた。
花火のようなキミを想う。
しばらく悩んだ後、ボクは離婚届にぺンを走らせた。
丁寧に、慎重に、消えてしまったキミを思いながら。
すべてを書き終えると、ボクはそれを持って外に出た。
コンビニで特徴のない封筒を買って、離婚届をしまい込む。
そのまま、駅に向かって歩いた。
一歩一歩、キミとの記憶を思い出しながら、叶わなかった未来を想う。

……身体がよくなったら旅行に行こうよ。
海外旅行なんか、どうだろう?
英語なんか喋れるかなぁ、自信ないけど。

……子供は二人くらい欲しいね。
できれば、男の子と女の子、一人ずつがいいな。
大丈夫、キミに似れば美人に育つさ。

駅の近くにある古書街に向かう。
手頃な店に入り、一冊の本を手にした。
タイトルよりも、その分厚さが大切だった。
しまい込んでいた封筒を、そっと本に挟み込み、何事もなかったように店を出た。
空は高く晴れ渡り、太陽の眩しさが目に痛かった。

     ※     ※     ※

アスファルトに寝転がって見上げる空。
夜の空にキミを想う。
静寂が世界を支配していた。
花火は、もう終わってしまった。
吹き抜ける風は心地よく、意識はゆっくりと遠ざかっていく。
……ああ、眠い。
このまま、ここで眠ってしまおう。
夏の風に吹かれながら。
キミと同じ花火を見よう。

えす・ますたべの城 / 高嶺俊