閉鎖病棟

仕事・恋愛・家庭・学業・人間関係全て上手く行かなくて、
大量に睡眠薬を飲んで、船橋にある精神科の病棟にブチこまれました。
私は数日間、オーバードースの為に点滴・寝たきりになり、
保護室に入れられていた様です、記憶がありません。

薬が抜けて意識がはっきりしてきたら、個室に移りました。
窓には鉄格子、移住空間の入口は常に鍵、
会社のワンフロア程度が私の世界になりました。

いつの間にか同年代の人間がやって来て、仲良くなりました。
皆、不幸な人達です。
彼氏に何千万も貢いで捨てられたみーちゃん、
境界例同士で結婚して離婚したあさやん、
いじめにあい学校にいけなくなった圭、
皆本人ではどうしようもない所で、心を病み、
つかの間休息をとる為に入院している人々でした。

その病院で私の主治医となった人は、
私を鬱ではなく軽度の境界例と診断しました。
躁状態だったので、仕方ない事でしょう。
私は皆よりもかなり自由を認められ、電話を許されました。

私は別れた彼氏に電話をしました。
彼は一言、「すぐ退院しろ、会おう」といいました。
なので外出許可証を提出して主治医にOKを貰うと、
嬉しくてまた彼に電話して、会う事になりました。

病院生活二週間の後、彼に会えた喜びを告げる間もなく、
私は彼に船橋駅付近のラブホテルに連れ込まれました。
強引に抱かれながら私は薄ぼんやりと意識を手放して、
16時までの帰棟にどうやって間に合ったのか、
どうやって戻って来たのか、記憶にありません。

ただ、部屋に戻って一人ベッドに横たわるうち、
何をとも形容しがたい感情が溢れて来て、
私はナースコールのボタンについているコードで首をくくりました。
ちょうど夕飯直前だった為、看護士に見つかり、
鎮静剤を打たれた事を覚えています。

それから、主治医に何があったのか聞かれましたが、答えず黙っていました。
自分が入院しているにも関わらず、労る事もなく性のはけ口に使われて死にたくなった、
などと、まだ慣れていない医師に言えませんでした。
投薬の量だけが増やされ、退院するまでの記憶はまた曖昧です。

一ヶ月後、ようやく家に帰れた時には、
20万近くも親に出して貰いながら、回復するどころか
鬱が酷くなっただけの自分が虚しくて虚しくて。
ふらふらしてばかりいました。
その頃、書いていた日記には、こう記してあります。

助けてください、助けてください。
誰でもいいから助けてください。
何もかもがボクに押し迫ってきて、
何もかもがこの手のひらをすりぬけて行くのに、
ボクは声をあげることすらゆるされていないのです。
全てボクが自ら招いた結果だと、受け止めるには力がなくて。
今は何も出来ず、ふらりふらりとしているだけ。

だから、船橋は嫌いです。
じくじく膿んでいる傷を、未だに思い出して沈んでしまうから。
今の幸福を、嘘じゃないかと疑ってしまうから。
だから、船橋は嫌いです。

monochrome / tomoakira