新検見川~とある手記より~

~2004年 夏、新検見川駅付近にて。とある少女の手記より~



 それはもう、とても衝撃的な出来事だったんです。

 「あの…もう、幕張メッセじゃなくて、東京ビッグサイトに変わったんですけど…」

 ついついそう言ってしまったんです。

 彼はキョトンとしたまま「何と?」と言いました。世も末ですね。コスプレイヤーは言葉までコスプレするんですね。真っ当な人間の私はついつい吐き気がしました。
 だから次の言葉はついつい横暴になりました。

 「だから、コミックマーケットとか、そういうのは、もう千葉じゃないんですよ!東京なんですよ!東京!」

 それでも彼はキョトンとしています。よくよく見れば端整な顔立ちの青年です。オタクじゃなければドッキリ恋をしてしまうところです。でも私はこんなオタクは嫌です。徹頭徹尾オタクなオタクはごめんです。
 もう腹も立ってきました。地元民魂も出てきました。

 「千葉じゃないのよ!千葉はあんたらオタクにも見放されたのよ!」

 普段使わないような言葉で喋ってしまいました。町のおっとりさんナンバーワンと呼ばれているこの私が。
 ところが驚いたことに、その青年はどう見ても歴史を元にしたコミックや小説の受け売りとしか思えない格好(あんなの着てよく町中を歩けるものですね。コスプレイヤーは服を自作するといいますが、自慢でしょうか)で、ビクッと肩をすくめてこう言い出すじゃないですか。

 「ごめん、政子、ごめん、もう浮気しない、浮気しないもん」

 さしもの私も訳のわからない展開に我を失いそうになりました。彼は何を言っているのでしょう。病院送りにするか、私がこの場を立ち退くかをしないと、どうやらこの町一帯が危険度7くらいになりそうです。どう見ても、見た目も中身もヤバイ人間です。

 てゆうか、なんで私の名前が政子だって知ってるの。

 足元から髪の毛の先までゾゾゾゾと寒気が走りました。もしかして新手のストーカーでしょうか。コスプレして自分を私にアピールしているのでしょうか。たしかに私は町のおっとりさんナンバーワンに選ばれて町内会報にインタビュー記事を載せられた(私は何度も断ったんですけど、町長が強引で)経験がありますから、ストーカーが現れてもおかしくないといえば、おかしくありません。
 だけれど、私、ストーカーなんてされたくありません。それに

 「何言っているのか、わかりませんけど。私、もう恋人がいますから。もちろんアナタじゃなくね」

 そう、私には恋人がいるのです。彼こそ町のさわやかくんナンバーワンに選ばれたトモくんです。トモくんは頭が良いし、浮気なんてしないし、何よりオタクなんかじゃないもーん。

 「じゃ、そういうことで。二度と私の前に現れないでくださいね」

 そう言っておっとり微笑み、彼に背中を向けると、彼はストーカーらしく突然逆上しました。

 「まさこおおおおお!!わたしにはあれほど浮気をするなと言っておきながら、他に男がいたのかああああ!!」

 彼はとてつもない力で私の肩をおさえつけ、強引に(それは少しときめいてしまうくらい強引に)私を彼の方に向かせ、抱き寄せるような仕草をしてじっと私を見つめました。

 私はトモくん一筋です。オタクは大嫌いです。でもさすがに端整な顔立ちの男性に何分か見つめられると、ついドキドキしてしまいます。

 「あの…放してくださる?」

 私は自分の心に芽生えたと思しき浮気心を牽制するつもりで、彼から目をそらしながら言いました。その時私の頬が薄紅に染まっていたということは否めません。

 すると彼はこう言うのです。

 「………政子じゃない」

 それだけならよいのです。一瞬でもときめいた自分は恥かしいですが、その次の言葉は私を腹立たせました。

 「てゆうか君誰?何その変な格好」

 それはこっちの台詞だあああああ!
 と、私の腹に抱える風神・雷神が阿吽の呼吸で吼えていましたが、私自身はそんなことを億尾にも出さず(もしかして手のひらはグーになってたかもしれません)、

 「あなたこそどちら様?そしてまず私を放してくださる?」

 と落ち着き払って言ってやりました。伊達に町のおっとりさんナンバーワンの座を頂いてはおりません。おっとりさんナンバーワンになるために腹の中の風神・雷神を外に出さないよう幼少から心がけてきた私です。ちょっとやそっとじゃ揺るぎません。

 落ち着いて彼の話を聞いてみるとこうでした。
 彼は自らを頼朝と名乗りました(恐らくペンネームやハンドルネームのように、コスプレの世界にもコスプレネームというものがあるのでしょう。そうでなければコミックの読み過ぎで現実と空想世界の区別がつかなくなってしまったのだと思います)。
 そして、浮気していることを奥さんの政子さんに見破られ、追いかけられていたところ、足が滑り転んで、気づいたらここにいたのだと言いました。

 呆れる点はいくつもあります。まず、空想と現実の区別がついていないような格好をしている時点ですでに私は呆れているのですが、浮気をしていること、そしてここにいることを、さもタイムスリップ話のようにでっちあげていることです。
 119番に電話したほうがいいのでしょうか。私は本気で悩みました。しかも奥さんの名前が「政子」という時点で、正直気持悪いです。もちろん、「政子」なんてありふれた平凡な名前ですが、何故かこの青年が「政子」と呼ぶと、ゾゾゾと来るのです。足の小指の爪までゾゾゾと来るのです。
 きっと、奥さんもオタクなのです。二人揃ってオタクなのです。本当は違う名前なのに「頼朝」「政子」と呼び合っているのです。わかりました。たまに彼のような人間はいます。彼は歴史オタクです。きっと今は鎌倉時代が彼の中でブームなのでしょう。来年あたり「信長」「蘭丸」になっている可能性は否定できません。しかも蘭丸の場合、どちらが男でもいいわけですから気持ち悪いを通り越して頭痛すらしてきます。いえ、そもそも奥さんという人物自体いるのか不明です。脳内奥さんの可能性も否定できません。
 そう考えると私の腹の風神・雷神は我慢の限界を超え、気づいたときには

 「―――――――――!」

 と、自分でも覚えていないほどの暴言と一緒に彼を蹴飛ばしていました。私は最近護身術を習っていたのです。
 すると彼はまるで漫画のように空に舞い、キラリと光って消えていきました。護身術の成果でしょうか。それともこれが元々の私の実力でしょうか。
 はっと気がついてあたりを見回しましたが、幸い人通りはほとんどありませんでした。私の町のおっとりさんナンバーワンの座が揺らぐ心配はないでしょう。

 その後、彼がどうなったのかは全くわかりませんが、私は腹の風神・雷神をいさめようと思ってトモくんに電話しました。
 電波が悪いようでちょと待たされましたが、電話はやがてつながりました。

 「あ、ねぇトモくん。今どこにいる?あたし今検見川にいるんだけど、ウン、JRのほうの…、…え?都合悪いの?どうしても外せない?…ね、何かノイズが入ってよく聞こえない…」

 そして私は気がついたのです。電話のスピーカーの向こうから「コミッ…マーケッ…に……方は……らんでお待ちくだ…」という声が聞こえるのを。  私は悪寒と予感を胸に抱きながら聞いてみました。

 「ねぇ、トモくん…今、どこにいるの?……東京?のどこ?………コミックマーケット…とか、聞こえてるんだけど…、…トモくんまさか…」

 そのときです。またスピーカーの向こうから、聞くからにダサそうな男の大きな声が聞こえてきました。「トモー、俺らのサークルこっちだってばー」「コスプレするならこっちだってー」「トモー早く電話終わらせろよー」

 阿吽阿吽と怒り狂った腹の風神・雷神をいさめることは大変難しく、気づいたら私は携帯電話を蹴っ飛ばしてました。
 携帯電話はキラリと空に舞い、見えないくらい遠くに飛んでいきました。
 明日からテコンドーも習いに行こうと思います。私は思った以上に才能がありそうです。
 携帯の新規契約もしないといけません。もちろんあのオタクはメモリ登録いたしませんが。



~なお、12世紀の地層から携帯電話が発見され物議を醸しだすのは、これより300年の後の話である~

つな缶。 / とびたつな