Time Limit

18:02

 机上の電話が赤い点滅とともに賑やかな電子音を奏ではじめた。きっかり三コール目で悠子は受話器を取った。
「はい、コーラル・システムズでございます、いつもお世話になっております……」
 電話の相手は取引先の社長だった。受話器を置いて電話を切り、隣の社長室のドアをノックする。
「どうぞ」
 すぐに野太い、重々しい声で返事が返ってくる。
「失礼します」
 ドアを開け、一礼して室内にはいる。社長室はそう広くない。内装もシンプルでとても二百億を超える年商をあげる会社の社長室には見えない。ひとつだけ置かれた机には、プロレスラーの佐々木健介に顔も体格もそっくりな強面の巨漢が窮屈そうに座っていた。コーラル・システムズの社長、宮内保その人である。
「社長、今日八時から会食の予定のあったエム・アイ・セントラルの内田社長からお電話がありまして、身内の方の急病で、今日の予定はキャンセルして欲しいとの……」
 だるそうにIBMの黒いノートパソコンをいじっていた宮内は、悠子の言葉を聞いた瞬間に表情が一変した。
「マジで? ラッキー!」
 野太い声に似合わない口調で言って宮内は満面の笑顔でパソコンをシャットダウンさせると、立ち上がって、すぐさまかけてあったスーツの上着に袖を通した。
「今日、他に予定なかったよな? な?」
 まるで学校の授業が終わったばかりの子供のような顔の宮内に、悠子は内心で苦笑した。十二年前、若干二十五歳で会社を立ち上げ、わずか数年で今の規模まで業績をのばしたIT業界の旋風児には似合わない表情だった。
「はい、本日はなんの予定も入っておりません、社長」
「よし、じゃ、俺は帰る。君ももう帰っていいぞ。あとは田口君に任しとけ。明日の予定は?」
「午前中は予定ありません。午後一時から、経産省の淡路様と打ち合わせ、あとは……」
 悠子が明日午後からの予定数件をすらすらと答えると宮内はもうドアを開けて飛び出さんばかりの位置にいた。
「オッケー。なんかあったら電話するように田口君に言っといて。じゃ、また明日」
「お疲れ様でした」
 一礼して顔を上げるとすでに宮内はいなかった。くすりと笑って、悠子は社長の机を簡単に掃除すると、照明を落として社長室に鍵をかける。
 自分の部屋に戻ると、小柄で童顔の少女に見える人物が悠子の帰りを待っていた。第二秘書の田口真奈美だった。
「あ、悠子さぁん、今そこで社長に会ったんですけどぉ」
 聞くたびに唖然とするアニメ声で喋る真奈美はこれでも今年二十四歳になる。その外見と声のおかげで、今着ているようなカッチリした紺のスーツを着ていても中学生がOLのコスプレをしているようにしか見えない。おかげで夜間補導されかかったことが何度もあって、その度に悠子は身元引受人で駆り出されていた。とはいえ、これでも彼女は海外の某大学をトップに近い成績で卒業した才媛で、数ヶ国語を自在に操る語学力と、一度聞いたことは二度と忘れない記憶力には、秘書としてかなりの能力を誇る悠子でさえ舌を巻く。
「社長、どうかされたんですかぁ?」
「いつもの病気。今日、新作のガンプラが発売になるのよ」
「あぁ、ガンプラですかぁ、社長もお好きですねぇ」
 小首をかしげる真奈美と二人苦笑してから、悠子はいくつかの連絡事項を真奈美に伝えた。
「……悪いけど、わたしももう帰るから、あとよろしくね。真奈美ちゃんも時間になったら帰っていいから」
「はぁーい、判りました、お疲れ様でぇす」
「じゃ、お疲れ」
 悠子は秘書室をあとにして秘書専用の更衣室に入った。バレッタをはずしてアップにしていた髪を下ろし、伊達眼鏡を外す。室内の洗面所で仕事用のかっちりしたメイクを落とすと、改めてプライベート用の薄目のメイクを施した。
「ふーっ」
 着ていた秘書らしいグレーのスーツを脱ぎ、パンプスを脱いで下着姿のまま、汗をかかない程度に軽くストレッチする。ブーツカットのジーンズとタンクトップ、フリースを羽織って、肩と前腕にパッドの入ったごついレザーのジャケットに袖を通す。最後に、黒のショートブーツを履くと、ソリッドな赤に塗られたアライRX-7RR4ヘルメットとグローブを手にして更衣室を後にした。
 エレベータで最上階の十一階から地下二階の社員専用ガレージに降りる。とっくに宮内のBMWはなかった。その隣のスペースに駐車された自分の愛車に近寄り、ヘルメットとグローブをタンクの上に置いた。鮮やかなトリコロールで彩られた、九五年式のホンダCBR900RR”ファイアーブレード”。キィをオンにして、チョークレバーを引いてからエンジンに火を入れてやる。アクラボヴィッチ製のチタンエキゾーストに換装されたマフラーから野太い排気音が吐き出され、ガレージがCBRの排気音で満たされた。
「……さて」
 チョークレバーを戻すと、アイドリングのまましばらく放置してゆっくりと暖機してやる。ジャケットの胸ポケットから取り出したタバコに火を着け、深々と吸い込んだ。携帯電話で時刻を確認する。十八時三九分。タイムリミットの十一時ちょうどまで、約四時間半弱。”今日は、いける!”
 水温計の針が真ん中あたりに来たところで悠子はタバコの火を消し、CBRに跨ってヘルメットを被った。グローブを入念に装着して、ハンドルを握り、サイドスタンドを足で蹴り払った。
「ンじゃ、行きますか」
 つぶやくように言って、悠子はCBRを発進させた。

19:08

 都内から首都高へと渋滞の波を泳ぎ切って、悠子はCBRを東名高速に載せた。ゲートを抜けて、周囲を念入りに確認した。パトカーらしい影はない。徐々に渋滞の混雑は解消しつつあった。替わりに大型トラックの数が増えはじめていたが、プロの運転手の彼らは高速のルールに慣れているのでかえって飛ばしやすい。
 ゆっくりと二速、シフトダウンしてエンジンの回転数を上げてやる。風切り音と排気音のハーモニーが力強くなっていったとき、悠子はさらにアクセルを開け、CBRを加速させた。スピードメーターの針は百三十キロ近辺から、一気に百八十キロの手前まで跳ね上がる。エンジン回転数をレッド付近まできっちり回してからシフトアップ。走行車線から第二走行車線、追い越し車線と車線変更しながら、六速まで入れる。車速は瞬間的に二百六十キロの大台に乗った。カウリングに潜り込むように伏せていても、この速度域では大気の壁にぶち当たりながら走るようなものだ。排気音以上にすさまじい轟音に耳鳴りがしそうになる。とはいえ都内を抜けてすぐでこの時間帯ではさすがに車の数が多い。悠子は苦笑して減速すると百六十キロ台の速度ですり抜けを始めた。車と車の間を縫うように、安全確認だけはきっちりと行う。
 しかし、安全確認に気を取られて肝心のモノを見落としていた。左後方から猛然とハイビーム点灯の一台が悠子のCBRに追いすがろうとダッシュをかけてくるのが、ミラーに映った。
「やっばーっ!」
 ヘルメットの中で小さく叫んで、もう一度ミラーを確認する。すでに後方のパトカーの天井のランプが真っ赤に輝き、けたたましいサイレンの音が周囲の空間を支配していた。マイクの声が何かを悠子に向かって叫んでいるのが聞こえたが、悠子はかまわずにCBRを加速させた。
 風切り音とサイレンの音がごっちゃになって悠子の耳を支配する。背筋にザワっとした感覚が走り、心臓が早鐘のように激しく鼓動した。ぎゅっと内臓が圧縮させるような圧迫感に悠子は深呼吸した。少し冷静になって、確信犯の心境で悠子はどんどんスピードを上げていった。パトカーとの距離はまだあり、車の多い今なら、逃げ切れる。小刻みに車線を変え、車と車の間をすり抜ける。この先、厚木を越えて車線数が減り、大型トラックが併走しているポイントがチャンスだった。海老名サービスエリアからの合流車をうまく使ってパトカーとの距離をさらに取る。
 利根川を越え、厚木インターを過ぎて車線数が二車線になった。車線の減少に応じて、つかの間車の流れが詰まり始める。狙い通りに、大型トラックが二台、走行車線と追い越し車線を併走しているのが見えた。
「いっけーっ!」十トンクラスの大型トラックとトラックのわずかな隙間を、悠子もハイビームにして通り抜ける。速度はおおよそ百八十キロ。さすがに恐怖感が悠子の背中を打ったが、歯を食いしばってアクセルを開け続けた。驚いたトラックの一台がクラクションを鳴らすが、悠子にかまっている余裕はなかった。そのままぐんぐん加速して再び二百六十キロ台のスピードに乗せる。あっという間にさらに前方のトラック群に追いついた。さすがにペースを保てずに減速すると追い越し車線側を走っていたトラックが緩やかに車線変更してくれる。悠子はハイビームのまま、トラックたちが次々と開けてくれる追い越し車線をひたすら爆走した。トラックのヘッドライトが後方の闇の中に吸い込まれるように消えていく。中には、悠子が近づく遙か前に車線変更してくれるトラックもいて、こういう気の利いたプロがいるから長距離トラックのドライバーは侮れない。
 そんなペースで走り続けてしばらく後、悠子はようやくスピードを百六十キロ台に落とした。後方をミラーで確認する。追跡車の気配は、とっくに消え失せていた。

19:33

 いくつかの長いトンネルを越え、悠子のCBRは静岡県に突入、御殿場近辺に近づきつつあった。さすがに尋常ならぬ速度域の走行と予想外のカーチェイスに疲れ、休憩のために足柄サービスエリアに入る。ここは銭湯があるので有名なサービスエリアで、その他になんとマクドナルドなども存在する。二輪用の駐輪場にCBRを停めて悠子は大きく伸びをした。ずっとタンクに伏せカウルに潜り込む窮屈な姿勢を続けていたせいなのか身体の節々が少し痛む。
「ふぁぁ~!!」
 身体を伸ばしながら一人で大きな声を上げていると、通りがかった長距離トラックの運転手らしき人物に苦笑いされ、悠子は少しだけ赤面した。
 トイレに行ってから、マクドナルドでホットコーヒーを買ってCBRの傍らで一人呑む。悠子が足柄に入ったときは誰も停めていなかった駐輪場には、ツーリングらしいバイクが数台増えていた。
 今日三本目のタバコに火を着け、深々と吸い込む。今のところ、悪くないペースで来ている。この分なら、時間までに目的地にたどり着くことができるだろう。
 コーヒーを飲み終えて、マクドナルドで拝借した紙ナプキンで虫の死骸などが付着したヘルメットのシールドを拭っているところに、隣の”GSX1300隼”の持ち主らしい青年が戻ってきた。悠子も人のことは言えないが、いかにもバイク乗りらしいナイロン製のジャケットに革パンツ、ブーツといったスタイルだった。CBRの傍らにいる悠子をちらりと見て、車種との組み合わせに驚いたのか一瞬目を丸くした。すぐに、人の良さそうな笑顔を浮かべて軽く会釈する。
「……こんばんは、ツーリングですか?」
「ええ、あなたも?」
 もちろん悠子とこの青年は今日が初対面なのだが、バイクに乗っているとしばしばこういうコミュニケーションが発生する。バイクに乗っている人間は皆友達、とまでは言わないが、こういう何気ないふれあいを悠子は否定しない立場だった。
「ええ。ツーリングっていうこともないかも知れないけど。沼津まで行くんです。彼女と遠距離で……」
 青年は少し恥ずかしそうにそういった。
「あら、すてき。そういうのって、いいですね。わたしは、京都までなんです」
「えっ、京都まで行くんですか! そりゃ大変だ、しんどくないですか、こいつだと」
 青年はやや大仰に驚いてCBRと悠子を見比べた。CBRは青年の隼と比べると運転時のポジションが、レーシングマシンに近い前傾姿勢を取らされる窮屈なポジションのため、長距離ツーリングには不向きな車種だった。
「多少、辛いけど。でももう慣れちゃったから」
「そうなんですか。まぁ、でもそういうもんですよね」
 そんな調子でしばらくバイク談義に花を咲かせてから、青年が先に隼を発進させていった。悠子も、その後に続くようにサービスエリアを発った。
 本線に合流するなり、青年の隼は猛加速してかっとんで行く。排気量が違うというだけでなく、さすがはスズキのフラッグシップ・マシンというべきであった。あっという間に隼のテールランプが点になる。悠子も、負けじとCBRを加速させた。この時間帯にしては珍しく流れている車の量がかなり少なく、安心して加速できる。ほとんど全開で加速してようやく悠子は青年の隼に追いついた。隼の性能なら、時速三百キロ台で巡航出来るはずだが青年はそれ以上ペースを上げるつもりはなかったようだった。そのまま、二百三十キロ程度で抜いたり抜かれたり。街路灯のオレンジの光が、宇宙(そら)に光る星のように闇の中に浮かび、流れていく。まるで飛んでいるような浮遊感に包まれて、二台のバイクはしばらくランデブー走行を続けた。そして、二十キロほど走ったあたり、目的地に近い沼津インターで青年は軽くクラクションを鳴らし片手を上げて東名を降りていった。悠子も、応えるようにクラクションを鳴らしてから、再び速度を上げていった。


20:48

 ほぼ満タンに近い状態で東京を発ったと言っても、さすがに今のペースでは燃料が持つはずもない。富士川サービスエリアで給油のみ行うと、漆黒の闇の中かすかにきらめく駿河湾を横目に悠子のCBRは由比ヶ浜を抜け、日本坂トンネルなどいくつかのトンネルを越えてひたすらに走り続けた。休憩は大切だが、そればかりでも集中力がとぎれる元になる。ペースを時折変えながら、悠子は脇目もふらずにCBRを走らせ続けた。
 そして、東京を出てから約二時間とすこし。距離にして二百五十キロのあたりで、悠子のCBRは浜名湖サービスエリアにたどり着いた。
「……やっと半分、てとこかぁ」
 とはいえ、悪くないペースだった。このままなら間違いなく時間までにたどり着くはずだ。CBRの傍らでタバコを深々と吸い込むと悠子はひとりほくそ笑んだ。
 不意に、視線を感じて悠子は周囲を見回した。小動物のようなくるりとした瞳と視線が合う。少し離れた場所から、小学校低学年くらいの少年が、興奮を隠しきれない様子で悠子のCBRをじっと見ていた。
 なぜか東京を発つ前の社長の顔を思い出して、悠子はくすりと笑った。タバコをそばの灰皿に押し込むと、少年に向かって手招きをする。最初きょとんとしていた少年は、それでもうれしそうな、恥ずかしそうな表情で近寄ってきた。CBRのそばをちょろちょろと動き回って、CBRをうれしそうに見ている。
「ボク、バイクスキなの?」
 悠子の問いかけに少し顔を赤面させて、少年はコクンと頷いた。いくつか問いかけて、少年が小学校二年で、名前が健太ということを悠子が聞き出した頃には、健太少年も打ち解けてきたのか、やや興奮気味に自分の思いの丈を語り出した。バイクのTVゲームで何回も優勝したことや、大きくなったらバイクに乗りたいと思っていることなど。
「そうねえ、いま健太君は七歳でしょ? あと十年もしたら免許取って乗れるよ」
「ほんと?」
 健太は目をキラキラと輝かせると満面の笑顔を悠子に向けた。
「ほんとだよ。それまで、楽しみにしてなさい。……そうだ、ちょっと乗ってみる?」
 予想外の出来事に驚く健太少年を悠子は抱き上げると、CBRのシートに跨らせた。
「落ちないように気をつけてね……」
 さすがに、小学校二年生の体格ではきちんとした乗車姿勢を取ることはできない。それでも、憧れのバイクに跨れて健太少年は極上の笑顔になった。
「……健太ぁ? 何してるの? ……あらあら、ごめんなさい」
 そこに、健太少年の母親らしい女性と、三歳くらいの女の子、少し遅れて父親が悠子たちの方に近寄ってきた。健太少年をたしなめ、わびの言葉を口にする母親に悠子は笑って事情を説明した。
「ほんとにごめんなさいね、休憩してる所なのに……」
「いいんですよ、お気になさらないでください。そうだ、良かったら記念撮影しませんか?」
 ネックストラップからぶら下げられた母親のカメラ付き携帯を見て悠子がそういうと、母親はさらに恐縮した。悠子に礼を言って、健太少年を数枚、その妹の幼女も悠子がだっこしてタンデムシートに乗せてやると、悠子ごとさらに数枚、撮影した。
「……ありがとうございました、ツーリングなんですか?」
 妹を抱きかかえながらそう言う母親に悠子は笑顔で応えた。
「ええ。これから、京都まで」
「へぇ、そうなんだぁ、実は、わたしも結婚前はバイク乗ってたんですよ」
 懐かしそうに悠子のCBRを見る。
「ふふ、じゃあ、健太君、お母さんの影響なのかしら」
「そうかも知れませんね……」
 顔をほころばせる親子の姿に悠子はうれしくなって、笑った。しばらく談笑してから、悠子はヘルメットを手に取った。
「じゃあ、わたしそろそろ行きますので。失礼します」
「あら、長々と引き留めてごめんなさい、お気をつけて」
 笑顔で会釈する夫婦と、元気いっぱいに手を振る兄妹に笑顔で手を振りながら、悠子は浜名湖を後にした。
 サービスエリアを出てすぐ、時計を見る。午後九時十分になろうとしていた。
「さって、急がなくっちゃぁ……」
 本線に合流しながら、悠子はCBRを大胆に加速させた。残り時間は、二時間を切っていた。

22:58

 京都駅と西本願寺のちょうど中間の当たりに、その蕎麦屋はあった。年老いた夫婦二人でやっている店で、グルメ雑誌に取り上げられるような有名店では決してない。だが、経験豊かな店主が作り上げる手打ちのそばと、その妻の暖かい接客が来る者の心を引きつけてやまない、そんな隠れた名店だった。
「……さて、ちょっと早いけど、そろそろ看板にしよか」
 老人はテレビの野球ニュースの結果に落胆しながら、そばでテーブルを拭いている糟糠の妻に声をかけた。
「あら、もう閉めはるの? そうやねえ……」
 そこまでつぶやいたときだった。表でなにやらバイクだか車が止まる気配があった。
「こんばんはぁ! まだ、やってます?」
 慌ただしくガラス戸が開けられて、息せき切った声とともに店内に飛び込んできたのは、悠子だった。
「……なんや、アンタかいな、お久しぶりやなぁ」
 大して動じる様子もなく、老人は前掛けを外しかけていた手を止め、厨房に入っていった。
「いらっしゃい、三ヶ月ぶりやないの?」
 湯飲みに熱いお茶を注ぎながら、老人の妻が笑顔で応対する。
「え、前に来たのそんなんだっけ。……えーっと、鴨なん蕎麦ください」
「はいはい、鴨なん一つ」
 お茶を一口すすって、ようやく一息ついたのか悠子は大きくため息をついた。
「いやぁ、京都南に着いたのがつい十五分くらい前でねぇ、もうダメかと思ったんだけど」
「アンタもそやけどご苦労さんやなぁ。そんなバイクで慌てて飛んで込んでも、休みの日にゆっくり来たらええのに」
 厨房からそう言う老人に、悠子は少しだけ赤面した。
「へへ、そうなんだけど、やっぱ、これがバイク乗りのダンディズム、なんだよねっ」
 破顔一笑、そう言って悠子はもう一度お茶をすすった。

Take