神遊び

「…ということで、日があける頃の6時には来ていて下さいね。
よろしくお願いします。」


緋色の袴と薄手の白衣。
それに説明冊子を一冊手渡され、
気がつけばもう出勤当日の朝だった。








玄関を開けると、予想以上に冷たい風が頬を突いた。
初冬といえど立派な冬だ。
昼間はまだまだ暖かいのだけれど、
朝日も目覚めぬ時間帯。
時計を見ると、6時になったばかりだ。
そもそもこんなに早起きをした覚えなどないから、
気温の変化や時間の流れには疎い。
到着予定時刻は6時前5分だったのに、
気がつけば6時になってしまう。

出勤当日から遅刻はまずい。




徒歩で10分の神社。

壱拾柱の御神がいらっしゃるこの神社に、
なんのご縁あってか巫女として勤めることとなった。

人手不足の近江神社。
新人の私は、神主さん達が出勤してくる2時間も前に行って、
お清めの準備やら掃除やらを、
全て一人でしなくてはいけないのだ。

…と、「入社マニュアル(神社ver)」で読んだ。


マンションの階段を駆け下り、
エントランスの自動ドアをくぐると田舎風景の空が飛び込んでくる。
お日様のない、白い朝の空は広くて、
今から「一人でしなきゃいけないこと」に勢いをつけているようだ。

はじめて通学するのも
はじめてお勤めをするのも
はじめて神社に職員としていくのも

「一人でしなきゃいけないこと」なのだ。


早足になる度胸は高鳴り、
高鳴りは冷たさで痛みとなる。


(これが朝の風景なのかな…)


だとしたら少し寂しい。
気持ちが落ち込んでいるのだろうか。




気がつけば灯篭がぽつぽつと見えてきた。
神社が街中に置いてあるしるしの朱色の灯篭。
それから少しだけ目線を上にもっていくと、
唐突な「森」こと、「神社」が眼に入る。


歴史の長い神社は、
ご神体は森自体にあるという。



もし本当に神様がいるのならば、
この朝の夜のような風景を、
どうにかしてくれればいいのに…
そう思って石段を駆け上がった。




石段を抜けて、大門を抜けると鳥居がある。
その真横に社務所(お守りを授与している事務所)がある。

「すいませーん、今日から巫女として来た者ですけれどー。」

我ながらなんと間延びした言い方だろう。
返事はない。

「すいませーん。」

何度目かに声をかけたとき、
後ろからトントンと肩を叩かれた。

「今何時だと思ってるんだ。」

振り返ると、
紫色の袴を履いて、真っ白な白髪の顔立ちの良い神主さんが立っていた。

「すみません、私今日から入る…。」

「そんなことは分かっています。とりあえず声の音量落としなさい。」

ぴしゃりと言われ、私は少々口を噤んだ。
神主さんは何も言わずに歩き始めたので、
私はアヒルの親子みたいに、ピッタリ後をつけて歩き始めた。






「この時間帯に大声出しちゃいかんよ。
お神様達が遊ばれいている時間なのだから。」

唐突に神主さんはそう言い出したけれど、
私にはなんのことかよく分からなかった。
その様子を見て取ったように、
神主さんは説明を続けてくれた。


「朝が白みはじめる…今の時期で言えば6時からの1時間は、
神遊びの時間だよ。」

「神遊び?」

「そう。神主も巫女もそろってない時間に神様方は降りて来て下さって、
遊んでいかれるのだよ。」


無愛想にそう言うと、
神主さんは私を清め所の前まで連れてきて、
簡単なお清めの方法を教えてくれた。


「時期に分かるよ。この神社にはたくさんの神様がいらっしゃる。」


そういって少し笑う神主さんの顔の横には、
さっきより少しだけ白くなった空気が漂っていた。



巫女装束に着替え、
少し気分が高鳴っている時にそれは現れた。


まずは…草履を綺麗にそろえて、本殿の掃除に上がった時だった。
そろえたはずの草履が、
一瞬眼を離した隙に裏返しになっている。


次は…塵取りを取ろうと掃除用具を開けた時だった。
ある筈の塵取りはひとつもなく、用具倉庫いっぱいに榊(神様に捧げる葉っぱ?)が
刺さっていた。


更に…私の時計だけが、他の時計より一時間ほど進んでいた。



どれもおかしなことばかり。


不思議に思いながらも、
朝の流れの一通りが済んだので、
さっきの神主さんのところへ行って見た。
神主さんは少し楽しそうな表情で、

「神遊びにはあったかい?」

と言った。

「あの…神様って本当に居るんですか?」

今度は更に微笑んで、それだけだった。
私も微笑み返した。
それが一番の答えになると思ったのだ。


次の日の朝の一時間はとても楽しかった。

キャッチャー・イン・ザ・ライ / 蒼樹宇明