Raining

全てが曖昧のようで、
それでいて輝いて綺麗に見えていた。

中学生だった。
















平均台が得意だった。
なんで得意だったかなんて覚えてないけれど、
とにかく得意だった。
マット運動や創作ダンスなんかも好きだったけれど、
私はこの平均台に異様に固執していた。
人より体が柔らかかったから、
人よりバランス感覚がよかったから、
人より手足がスっとしていたから。
自分を褒めるのは得意ではないけれど、
それがほんの少しだけうまくできるのが、この平均台に乗っている時間。

平均台を置いてある体育館は、
月曜と水曜と金曜は剣道部が使っていて、
あとは私たち体操部が利用している。ちなみに土日は共用。
バスケットコートとバレーボールのコートが仲良く並んでいる大・体育館は、
最近改装されたばかり。
私たちのやや小さめの体育館から、
渡り廊下を抜けて階段を上るとそこにある。
この小・体育館で私は放課後を過ごす。

体操部だからといって、特別何か練習するとか、
外部からコーチが来て秘密の特訓をするとか、
そういうのは全く無い。
ただ好きなときに好きなように人があつまって(体操部は女子限定である)、
顧問も気が向いた時にしか見学には来ない。
体操部なんてよっぽどこの「体を柔らかくする行為」が好きでもない限り、
誰も入らない。
まずみんなレオタードを嫌うし、
軟質な体になるものの、特にこれといってぬきんでる部分はないのだ。
だからもちろん、こんなつまらない部活を見学する人もいない。


でも、冬の霜が優しく冷たくなってきた頃だった。
私はいつものように一人朝練に行くと、
今日は珍しく陸上部の男子が何人か校庭に集まっていた。
小・体育館はグラウンドに面しているので、
校庭に出ている部活はよく見える。

(何か大会でもあるのかな…)

そんな風にぼんやり思いながら、
私は小・体育館の小さなステージの裏の用具倉庫から、
一番手前にあった平均台とマットを引っ張り出した。


「おはよう智乃。今日も一番乗りだね。」


ぼんやりとしていた最中、
突然声をかけらられたのでびっくりした。



「おはようございます先輩。…先輩は朝から元気ですね。」


そういって私は半ば呆れた様な笑顔で笑った。
先輩はまだ夏用のレオタードの上に、長袖のTシャツ一枚なのだ。
私はというと、冬用のレオタードにプラスしてトレーナー。
そして足にも手にもウォーマー。


「智乃は寒がりなんだよ。筋肉こわばるよ?」
「先輩が寒さ知らずなんです。」


私たちは少し冗談を言いながら、
各々でストレッチを始めた。
こんなに冷え込む朝は肉離れしやすい(らしい)。
平均台に片足を上げ、190度くらいまで足を開く。
前後交互に。骨盤がズレないように。

ふと陸上部が目に入る。


(外…寒そう…)


陸上部もアップ中のようで、
全員でグラウンドをぐるぐる走っている。
ちなみに私は外でする競技は苦手。
水泳は好きだけれど、
それ以外はまるで好きじゃない
春から室内でマット運動やら、
創作ダンスがはじまるので、みんなには「運動神経よい子」と思われるようだ。
しかしそれは大嘘。はったりもいいとこ。
綺麗に見えるのは平均台の上での倒立だけ。
一度短距離走やら走り幅跳びになると、
運動音痴顔負けの音痴っぷりを発揮する。
でも別に気にしていない。
この平均台をプラスして、
外の運動をマイナスするとちょうどゼロになるから成績には支障ないと…思う。


一通りの柔軟を終えて、
私は平均台の上に立つ。

左右が対象になるように。
意識が上に上り詰めるイメージ。
空気を鎮める音。
…台を蹴り上げて中に浮く音。


くるり、と世界が真逆を向いたところで、
一旦足を180度に開く。
これが「ナントカバランス」。
いちいち名前なんて覚えてられない。

それからそのまま直立して、一旦呼吸。

脚をしっかり持ち上げて、
160度くらいにあげる。
これまた「ナントカバランス」、
そしてポーズ。
ここが肝心。


この平均台に乗っている時間だけは、
世界は私のもの。
時間と空気とついでに音や匂いも全て私の中にある。
同一化するような気がするのだ。
それらに。

少なくとも、中学を卒業するまではずっとこんな日が続くと思っていた。
その時、その朝までは。


ふと時間を見やると、7時45分。
あと15分したら片付けをはじめなければいけない。
(ちなみに今日の朝練も、私と由香先輩しかいなかった)
私は巨大分度器(通称・巨分)をとりにいこうと、
平均台の上でバック転した時だった。


「すげー…。」


一人の男子が視界に入った。
おそらく同学年。2年生。
何度か顔を見たことがある…ような気がする。


「すっげ軟質。つか軟体動物?」


私が呆然とそいつを見ていることをいいことに、
やつはペラペラと独り言を発している。


「体操部ってこんなことしてんだー!はー、すげぇな。」


私は少しムっとして、平均台からそのまま飛び降りた。
その男子は「もう終わり?」とか呟きながら、
ヘラヘラと笑ってる。


「君…2年生?」


私がそういいながら近寄ると、そいつは慌てて立ってお辞儀をした。


「自分、陸上部の2年の谷野大貴っていいます。」

突然律儀に自己紹介なんかされたので、
私も当然のごとく、少し慌てて自己紹介を返した。

「…体操部の2年。吉塚智乃…谷野君のことは知ってる。」
「あ、俺結構有名人ですか?嬉しいなぁ。」

そういって谷野はヘラヘラ笑う。
知ってるも何も…このド田舎中学の真面目中学で、
貴重なくらい少ない、いわゆる「不良グループ」
髪の毛は赤茶で、ピアスもしてて、
「関わりたくない」系。


「…陸上部はもう朝練終わったの?」
「うん。今片付け中ー…で、俺ら高飛びは早く終わったから、
防寒しようと此処へ逃げ込んだ…ワケ。」
「ふぅんお疲れ様。…じゃ。」


私は踵を返して振り返った…つもりだった。


「ちょっと待って!」


急に肩をつかまれたのでジンジンする。
平均台の隣のマットの上では、由香先輩が何事かって目で見てる。


「何?痛いよ。」
「ごめん…あの、実は嘘で…。」

は?と私は首をかしげた。

「実は前からちょくちょく見てたんだ、体操部。」
「好きな人でも居るの?」

谷野は少し俯いて赤くなると、
コックリとうなづいた。
あ…そういう素振りは愛い愛いしいなぁ。


「でもさ、体操部とかジっと見てたら変なやつじゃん?」


何を思ったのか、谷野は弁解を始めた。


「写真部のやつらとか結構隠し撮りしててさ、
あとテニス部とか!……。って俺何言ってんだろうね。」
「うん…何言ってるんだろうね。」


そういうと私は思わず吹き出してしまった。
あんまりにも必死なのが、面白かったのだ。


「谷野君って結構可愛いんだね。」

私はまだクスクスが止まらず、
笑い声まじりでそう言った。

「俺のこと、大貴でいいよ。みんなそう呼ぶし。」
「じゃあ大貴。私も智乃でいいよ。」




私たちはそれから少し雑談を交わした。
実は同じ小学校だったんだとか、
大貴の茶髪は学校への反抗心なんかはなくて、
親に向けてやった独立心の現われと、お洒落なんだとか。
(でもどれも大した理由ではないね、とツッコんでおいた)



「じゃあ、私まだ片付けあるから。」
「なぁ智乃!」
「…何?」
「また来ていい?」





それが私たちの出会い。
幼くて拙い、箱庭のように囲まれた中での小さな出会いだった。









新学期






由香先輩達が卒業して、
私は3年生に進級して、部活は総員7名にまで減っていた。
前年度の3年生の時が、この部の全盛期だったのだ…と同級生の友達は言う。

私は運命的?運命なんて信じてないけど、
なんらかのご縁があるのならばそれであろう、
大貴と同じクラスになった。
たった4クラスしかないのに、
今の今まで全然知らなかったのが不思議だ。

私は春休みの間に、少しだけ大貴と電話もした。
部活中の休憩時間や片付け時間の合間を縫って、
他愛ないおしゃべりすることもあったし、
時間が合えば一緒にだって帰った。


「俺らって運命と思わない?」
「…は。」


3年2組のクラスに足を踏みだ瞬間、
大貴が私の手を取ってキラキラした眼差しで見つめてくる。


「よく言う…由香先輩が好きだったくせに。」
「あ、智乃まだソレ言ってる!それ君の勘違いですからね?」

私はからかってそれにいちいち拗ねる大貴がおもしろくって、
つい遊んでしまう。
そんなのが楽しい。

最初は出席番号順に並んでいたけれど、
HRで取り合えず席順がクジで決められた。
1学期間はその席になるので結構重要だ。


「センセー!僕吉塚さんの隣がいーでーす!」


そんなはたから聞けばただのバカとしか思えない、
大貴の間の抜けた声が教室に響いた。
みんなクジを開いて、隣になりたい人とのを交互に見比べては、
黄色い声をあげている真っ最中なのだ。



「谷野…そういうことは心の中に秘めておきなさい。
あと席順はクジで決めるんだぞ。」

「だってさ、このクジで席離れたら俺らの関係も離れそうじゃないですかっ?」



先生と大貴は数分間そんなバカげたやりとりをしていた。
というか、公然と私の声を大声で話さないで欲しい。
結構恥ずかしいのだ。…キャラじゃないし。

先生と大貴の押し問答は数分間に及び、
もう大貴以外全員席に着いていた。
大貴の友達(いわゆる不良君達)も、
変に笑いながら席についている。

開いている席は一つ。
最後尾の列、一番端っこの窓際。
私、吉塚智乃の隣。



「…最高なコンディションだね。」

そういってニッコリ微笑む大貴に、
私も微笑み返すしかなかった。




席が隣…というのは、
客観的に見たら結構安易で安っぽい関係なのかもしれない。
でもたかだか15歳になるかならないかの私たちにとって、
それは「世界」そのものなのだ。
私が唯一それを感じる平均台の上のように。
所選中学生が何をあがいた所で、
生活の大半はあの勉強机のある教室なわけで…。
そんな中その隣に座る人とは、
そのちっぽけな人生観の中で「世界」になるわけなのだ。

だから私も大貴が、
大貴も私が。

授業中やお昼ごはんの時間はお互いの「世界」を共有している。



ちなみに大貴の反対側の隣の席は、
例の写真部新部長。
めがねをかけて、太っていて、ワキガがきっつい男子。
なので、必然的に大貴の方を向いていたわけだけど。




名前と名前で呼び合う…なんて、
普通みんなやってなかった。
でも、公然と名前で呼び合う私たちは、

「公認の仲」

ってやつに認定されてしまったらしい。
無理も無いかな…と自分でも思う。
それくらい私たちはしょっちゅう一緒にいたから。
でも、私は大貴は由香先輩のことが好きなんだと思ってる。
今も。

実際、由香先輩がいなくなってから大貴は小・体育館に来ない。
近くの中庭で大貴が声をかけてくるだけで、
決して小・体育館には踏み込んで来ないのだ。

…あの朝のように。


少しそれについて聞きたかったけれど、
幼心に聞いてはいけない気がした。
聞いてしまうと、「共有」ができなくなると思ったのだ。









夏休み






今年の夏はやってくるのが早かった。
入道雲がどーんとグラウンドに飛び乗って、
私は6月後半にはその熱さに押し殺されそうだった。

流石に自由奔放がテーマな体操部に人気はなく、
私は、ほとんど一人でそのただっ広い体育館を利用した。


体操部はなぜか毎年、秋から冬にかけて1年生が入部する。
私もそうだった。
あのピンとした空気に、
しなやかな体の曲線が綺麗に当てはまっているのだ。
多分それを見てあこがれて入部…という人がほとんどなんだと思う。
でも今はそんな空気がたるみきる季節。
部員の体もさぞかしなまることだろう。

1学期の後半はほとんどは、ミーティングをすることになった。
うちの部活だけまだ部長が決まっていないのだ。
それを、1学期後半の部活の時間を使って話し合ったけれど、
最終的には噂話や世間話になり、
そのまま、夏休みを迎えることになってしまった。


《夏休みの体育館の使用》

朝7時から午後2時まで。
平日は火曜と木曜のみ。
毎日ストレッチすること。


そんな簡単な「体操部・夏休みのお知らせ」プリントを、
私は親よりも誰よりも、大貴に一番に知らせた。
二人とも家にFAXがあったので、
それで送って、電話をかけた。

「夏休み、陸上部はなんか練習するの?」

私はここ半年ほどで、驚くほど積極的な人間になった。
といっても、大貴限定だけれど。

「夏休み?うーん…、多分大会がある。」
「大会?」

うちの陸上部は結構有名らしく、
今年も全国大会がナントカ言ってた。

「えー…じゃあ、地元に居ること少ないの?」
「うん、夏は結構ハード。」

そっかぁ…と私はため息を漏らした。
なんなら、また一緒に帰りたいな…とか思っていたのだ。
学校の裏手のたこ焼き屋さん、夏はかき氷を売っているし。

「智乃は?」
「ん?」
「智乃んとこの部活はなんかないの?大会。」

そういわれてはっと気がついた。…が、
すぐに思い直した。

「毎年他の部員の子は出るみたい。でも私は出ない。」

大貴から体操部の話題を振られるのは久しぶりだった。

「なんで?智乃上手じゃん。レギュラーとかあんの?」
「ううん、大会に出たくないだけ。」

別に部員はたかが7人かそこらだ。
10人まで枠はあるから、出ようと思えば出れる。

でも、智乃はあの大会の空気が嫌いだった。
一人で味わうはずの「平均台の世界観」が、
観客のざわざわした声やアナウンスによって、
すべてぶち壊しにされる気分になったのだ。

そんな場所より、ひとりで朝練した方が「キャラ」なのだ。

「智乃の平均台、俺好きだよ。」

急に真面目ぶった声になったので、
少し頬が熱くなってしまった。

「…由香先輩のは?」

わざとはぐらかしてみる。

「…関係ないって言ってるじゃん。」
「ふぅん…。」


私はなんとなく気が乗り気ならなくって、
手元にあったアイスティーを飲み干すと、
「もう寝るから」と言って電話を切った。




それからダラダラと終業式になって、
夏休みになって。

私たちはその夏一度も電話をしなかったことを、
とても後悔するのだった。







体育祭





夏があけたら体育会の練習が始まる。
でも外でやる競技に最近嫌悪感を持つくらいにまで至ったので、
今年の体育祭はサボろうかと思っている…
ことを、久しぶりに会った大貴に話すと怒られた。

「智乃ちゃんねー?あんまり協調性なかったら、
社会に出てもやってけないよ?」
「いいよ別に。」

ツンとそっぽを向く私に、
大貴は一枚のプリントを出してきた。


《体育祭種目》


玉入れやら綱引きやら、
クラスから参加しなければならない目録が並んでいる。


「ね、ね。智乃さ、俺と一緒に二人三脚出ようよ。」
「嫌。」


即答なのは「キャラ」だから。
その押し問答は3日にわたったけれど、
折れたのは私の方。
条件として、クラス対抗のムカデリレーには出ないこと。
クラス対抗のリレーにも出ないこと。
で、大貴と二人三脚の練習をするわけとなった。

でも練習したのなんて、体育祭当日まで通産して2時間くらい?で、
ほとんど私たちはしゃべっていた。
あの、気まずかったような気がする夏休みの時間を埋めるように。

意地…なんだろうか。
大貴が相手だと、色々体の知らない部分がフル回転して、
うまくいかなくなってしまう。
それでこそ、私のキャラが壊されていく感じ。

よく気持ちのわからないまま、
私は体育祭を迎えた。



当日の種目は何一つ知らない。
というか、知りたくも無い。
私は結構物事に対して淡白なのだ。
そんな私を、大貴は朝から引っ張りまわした。
二人三脚は午後からなのに、
私はそれで結構バテてしまっていた。


昼食時、急に吐き気をも要したかと思うと、
私の目の前は暗転してバランスを失ってしまった。
突然。

誰かに抱きとめられ、私は保健室(と思われる)に運び込まれた。
でも実はそこは保健室ではなく、体育祭では一切無縁の小・体育館。
マットの上。

「智乃はこっちのが落ち着くだろ。」

そういっていたずらっぽく微笑む。

「朝…連れまわしてゴメンね。」
「ううん。私もなんか体調悪かったんだろうし。」
「休んでていいよ。先生には適当に理由つけとく。」

大貴はどこかソワソワしていて、
心此処にあらず…な素振りが見えた。

「どうしたの?」

とりあえず聞いて見た。
でも、その返事は私には答えにくいものだった。

「…キスしたい。」

何言ってんだこの茶髪男。

「なんで!」

私は思わずツッコみを入れる。

「なんでって…その、智乃ちゃんが好きですし。」

邪念を入れずに聞くと、
その一言はずいぶん嬉しかった。
…邪念を入れなければ。

「…なんのバツゲーム?」
「俺のこと疑ってる?」

それから少し沈黙が流れて、
どちらかともなく口付けた。

少しやわらかくて冷たい唇は、
熱中症にやられた私の唇にとても気持ちがよかった。

口付けを2,3度交わしてお互いの顔を見合すと、
これまたどちらもともなく、
倉庫の上のマットレスに同時にもぐりこんだ。


遠くでは二人三脚を告げるアナウンスが、
あきらかに二人を呼んでいた。



これが私の一番幸せな記憶。









秋の終わり






体育祭が終わり、
私は部活を引退した。
その頃私は将来について考えていてた。
いや、この年頃の中学生は多分全員考える。
そのうちの一人が私。

でも私の性分、「悩んでいても仕方ない…キャラだし」
は、あまり深く考えこまないようにした。
でもそんな不安定な自分がいやで、
そのまま全てを…大貴を放り出してしまいそうな自分がいやで、
シャーペンの芯の部分で、
十字架の形を掌に彫って見た。
この行為は結構はやっていた。
自分の好きな人の名前を書く人もいれば、
好きなアーティストの歌詞の一部を書く人も居た。
大貴もやっていて、大貴の手のひらはいつも綺麗な蝶々が咲いていた。



「大貴、結構綺麗に絵を彫るね。」

ある日放課後にショッピングセンターに来ていた時、
私はふとそう呟いた。

「そう?智乃のがシンプルでいいじゃん。でもあんま綺麗な手に傷つくんなよ。」
「綺麗な手って…。」


私はたまに、こんな風に歯も浮くようなセリフを吐く大貴が好きだった。
結構根は真面目なんじゃないかなぁと思う。
テストの成績も、理科と数学で対決すれば大貴の方が点数はいい。


「それより。智乃何買うの?」


今日は私のワガママで、
放課後制服のまま、片道20分もかかるショッピングセンターまで大貴を付き合わせたのだ。
というのは、


「カーディガン買うの。」


そう、カーディガンを買うため。
体育祭が終わり、文化祭前には部活を引退する。
で、なんでカーディガンかというと、
私は冬になると部活のトレーナーの上からカーディガンを羽織って練習をしていた。
なので、2年間部活でも使用されたカーディガンはもうボロボロ。
たかが半年、されど半年。
どうせなら綺麗なカーディガンで残りの学生生活を過ごしたい。


指定されているのは、
紺・黒の無地のカーディガン。
それ以外は違反になる。

でも一口に「スクールカーディガン」と言っても、
ワンポイントやら編みこみのデザインやら、
やたら余計なものが入っている。
私はそういう物を避けながら、
大貴を傍らに品物を物色していった。


「ね、智乃。女子って指定のカーディガン学校で売ってなかったっけ?」
「あー、学校でも売ってるけど、学校のやつポケットついてないんだ。」

そう、学校の売店でもカーディガンは販売されているのだが、
学校で売っているものは生地も薄く、
両脇にポケットがついていない。
結構このポケットは使えるもので、
ないと困るのだ。
今使っているボロボロカーディガンも、ちゃんとポケットはついている。


「ふーん、女子って大変だねー…あ。」

大貴は何を思ったのか、嬉しそうに一着のカーディガンを私に当ててきた。

「ね智乃さん、これどうですかっ。」
「ちょっと...これ...。」

良いも悪いも、大貴の選んだカーディガンは真っ白。
...に小さく「プレイボーイ」のロゴが入っている。
確かに可愛い。
土日の部活になら着てもよさそう。
が、受験前の大事な時期にこんな目立つ色着れる訳無い。

「可愛いじゃん。」

大貴はちゃっかり私に真っ白のカーディガンを着せると、
満足げに笑っていた。

「ダメだよ。日常生活と今後の進路に差し支えが出る。」

胸のところまで伸びた長い髪を下ろしているのでさえ、
最近は目がつけられやすいのだ。

「いいじゃん。可愛いから。」
「あんたと一緒の価値観で私を見ないでくれる?」

そのあと大貴は少しだけシュンとなっていたけれど、
私はその白のカーディガンを着たままレジに立つことになった。
(これはこれで結構恥ずかしかった)


「お会計の方が5980円になります。」

店員の人が明らかに営業ハスキーボイスでそういった。
私はスクールバックからお財布を取り出そうとしたら、
目の前で大貴の手から1万円札がレジの中へと飛んでいった。

「は、何?援助交際?」

私は思わず頓珍漢な発想をしてしまう。

「バカ。俺が選んだんだから俺が買うの。ただしちゃんと着る事。」
「あ…ありがと。」

店員さんの笑顔は、営業スマイルじゃなくて、
ほんと私達を「若いんだなー」って目で見る微笑に変わっていた。


私はカーディガンを着たまま、
大貴と手を繋いでショッピングセンターを出た。
ここから私達は別方向なので、バス停でバイバイしなきゃいけない。

「ね、ちょっといいもの見る?」

バス停で私のバスを待っているとき、
大貴が二輪車駐車場の方からひらひらと手を振って私を招いている。
私は大貴にいわれるがまま、
駐車場の奥についていった。

大貴が自慢げに指差したのは、バイクだった。

「大貴免許持ってるの?」
「んなわけないじゃん。俺らまだ15歳でしょ。」

ああ…と私は納得した。
多分友達同士何人かでパクったのだな...と。

「やだ。カーディガン以上に学校にバレたら問題じゃん。」
「いいから乗るの。」

大貴は嫌がる私を無理やりバイクにしばりつけると、
手馴れた動作でエンジンをかけ、
私の家の帰途についた。
...もちろん二人ともヘルメットナシ。ノンヘルとか言うんだっけ?




私の家は結構切り立った山の上の方にある。(ぶっちゃけて言うと田舎なのだ)
お母さんにバレないように、
念のため家からちょっと離れたところで下ろしてもらった。

「じゃね、智乃。」
「うん、おやすみ。」

そういってくるりと後ろを向いた私を、
大貴は突然抱きしめてきた。

「何...?キスでもしたいの?私はしたくないよ。」
「...それ今カーディガン買ってもらった人が言うセリフ?」

大貴は頬をぶーっと膨らませて、
むくれてみせた。

「で、何?」

今度はやや優しめに問いかけてみる。

「そのカーディガン、汚すなよ。」
「大貴じゃないんだから。部活でも着ないよ。」
「そういう意味じゃない。」

また...私の好きな真面目くさった顔だったけれど、
いつもとちょっと雰囲気が違った。

「そうじゃなくて、手。」

そういって大貴は私の手のひらを握り締めた。

「手のひらに落書き程度ならいいけど、
それ以上傷つけんなよ。」




どんな意味で言ったんだろう。
でもその数日後、嫌でも私は知ってしまう。
大貴が言っていたその意味を。
















《文化祭クラスの出し物》


そんなことがツラツラと書かれたプリントが配られたある朝。
大貴が学校に来ていなかった。
あと、友達数人も。
またなんか悪さでもしたかな...
私は気にもとめず、
空いた隣の席をぼんやりと見ていた。

大貴とは奇跡的に3学期間隣同士だった。



昼休み。
私はいつものようにクラスの女子何人かで机をくっつけて、
お弁当をつついてた。


「智乃居るっ?!」


廊下から響き渡る声。
隣のクラスの、茶髪軍団(と影で私は呼んでいる)の女子。
確か大貴の親友の彼女だ。


「あ、私居るよ。ココ。」

女子の間に埋もれていた私は、
ひょっこりとそこから顔を現した。

「ねぇ...昨日谷野君から電話とかあった?」

心なしか彼女の声は震えている。

「昨日ー...は確か寝たの早くて、電話してないな。
どうかしたの?」

茶髪の女の子はポツリと一言呟いた。

「昨日、谷野君達交通事故おこして、
谷野君だけ重体だって...。」


一瞬息が止まるとはこんなことなのか。
呆然とする私を無視して、彼女はしゃべりつづけた。


「昨日の夜ね、なんか谷野君の先輩が他校の高校生にリンチされてたらしくってね、
谷野君とうちの彼氏がかけつけたんだって。バイクで。
でね、そのケンカの場はなんとか収まったらしくて、
バイク転がしながら帰ろうとしたら、逆上した高校生が車で突っ込んできたって。」


彼女は一息でそう言った。


「嘘...今...今大貴は?!」

私は思わず持っていたお箸を落としてしまった。
唐突のことすぎて、涙なんか出やしない。

「わかんないのそれが...。彼氏も今警察の調書とか受けてる最中で、
見計らってメールくれたんだけど...。先生に聞いても何も教えてくれないし。」


私は「そう...」と呟くと、
バックの中からテレフォンカードを取り出して、公衆電話まで走った。
大貴の家に電話をかけるのだ。
震える手で、すっかり暗記してしまっているナンバーを押す。
大貴が無事であることを祈るかのように。


『只今留守にしております。ピーっという発信音のあと...』


留守電。
それもそうか、大貴のうちは母子家庭なのだ。
私はカードを取り出して振り向くと、
ちょうど担任の姿を見つけた。


「先生っ!!だ...谷野君何かあったんですか。」


先生は私の顔を見ると、「早く教室に戻りなさい」
と言って、職員室に戻っていった。


私は途方もなくなって、
なんとなく小・体育館に足を向けた。

私達の関係はなんて浅いものなんだろう...。
学校と電話がなければ、
満足に相手の状況を知ることもできない。
携帯電話を持っていなければ、
声を聞くこともできない。
なんて無力なんだろう。
なんて子供なんだろう。
歯がゆくて、でもどうにもできない現実に、
私は嫌気が刺した。


小・体育館は昼間ガランとしている。
体育の授業でも、こっちの小・体育館を使うことは滅多にないので、
利用者は本当に少ないのだ。

まだ部室は片付けていない。
文化祭がはじまる直前に引退するので、
事実上まだ体操部なのだ。

大貴からもらったカーディガンは、
この部室のロッカーにしまってある。
私はレオタードに着替えると、
カーディガンを羽織って、平均台を引っ張り出した。



世界を回転してみれば、
ひょっとすれば大貴が来るかもしれない...なんて本気で願った。
今思えばとても馬鹿な発想だったけれど、
なんとなく私達を繋ぐ項目は「部活」にあったなぁと思ったのだ。

くるり...と倒立すると、
手首の皮膚の皮がピンと張る。

体育祭の前以来部活には来ていなかったので、久しぶりだ。

ピンと張った筋と皮から、
じんわりと血がにじんでくる。

手首に刻んだ模様が、
じんわりと傷口を広げる。

大貴からもらったカーディガンが汚れてしまう。

私は思わずそれを隠すために、
立ち上がろうとした瞬間、バランスを崩して平均台から落ちた。
傍から見たらとても間抜けな格好だっただろう。

でもその落ちた格好のまま、
さかさまに見えるグラウンドはびっくりするほど綺麗だった。
広かった。
どこまでもどこまでも続いているよな風景の中、
涙は一粒も出なかった。
それよりびっくりしていたのだ。
大貴が走っていたグラウンドが、
こんなに私を照らし返していることに。




世界を私達二人が共有してるなんて嘘だ。
私達は個体だ。
とても小さなちっぽけなもの。







大貴の死を知ったのはそれから3時間後のことだった。























お葬式に私は出席できなかった。
というのも、原因は白のカーディガン。
担任に激しくとがめられたけど、
私は決して譲らなかった。

クラスから一人減ったというのに、
日々の生活は大して変わらない。

たまに泣き出す女子が居たけど、
私は泣かなかった。

クラスは文化祭の出し物について夢中だった。
以前のような毅然とした明るさこそなかったものの、
大貴の親友の男子が頑張ってたみたいだ。
というより、大貴が事故に遭う前から準備してたらしい。
私と大貴で演るはずだった「ロミオとジュリエット」
もちろんロミオが大貴で、ジュリエットが私。

大貴の親友の男子は、
ロミオ...大貴がいなくなった今も、
私にジュリエットをやらないかと持ちかけてきた。


「あんた何考えてるの。」


私のこの一言で引き下がったけれど。
おいおい、それじゃ茶髪のメンツ丸つぶれだろ。
クラスの女子らも、最近輪から外れ気味の私を気遣って、
ジュリエットをやらないか持ちかけてきた。


「だって吉塚さんの髪の毛長くって、綺麗で。ジュリエットぴったりだもの。」


そういって愛想笑う女子達に嫌気が差して、
私は長かった髪をばっさりとショートカットにしてしまった。
その行為に女子らは感服したのかあきれたのか、
もともと協調性のない私は、あっという間に孤立してしまった。



大貴が居ればなんて考えても無かった。
大貴はもう居ないのだ。
どこにも

体育館に行こうが、グラウンドを100周しようが、
会う事はできないのだ。



『もう此処に彼はいらっしゃいませんよ』



そう言わんばかしに、私の隣の席には大きな百合の花が、
花瓶に刺さってしおれかけていた。

文化祭も卒業式の練習もめまぐるしく過ぎていき、
もう気がつけば卒業の季節がやってきていた。
大貴が居なくなってからの生活のほとんどは覚えていない。
ただ左袖の白いカーディガンの裾は、
日に日に赤茶色く染まっていった。

...私は大貴に言われていたことを守れなかった。















卒業





志望校なんていつ決めたんだろう。
でも決まっていたから不思議で仕方ない。
願書を出してしまってから、私は学校に行かなくなった。
行く意味が分からなくなった。

ただ一人ぼっちの部屋の中で、
今までこんな風に一人で過ごしていた間、
なんで大貴が居なかったんだろう...と考えた。

夏休みもそうだ。
変な意地張ってないで、電話しておしかけてキスでもすれば、
あの体育祭の頃の二人になっていたはずなのだ。

なのにどうして一人の時間を過ごしてしまったんだろう。
なんで大貴が生きているうちに、
もっと多くのものを共有していなかったのだろう。


卒業式には出席しろ、と担任が直々に家に挨拶に来たので、
卒業式だけは出ることにした。

私は担任が帰る直前、

「式には出るけど、カーディガン白だから。」

と付け加えておいた。

担任は私立高校の合否通知もついでに持ってきた。
2校受けたけど、どっちも女子高だった。





式の流れはスムーズだった。
担任にあんなことを言っておきながら、
私が結局式には出席しなかったからだと思う。

式が滞りなくとりこなわれている頃、
私は一人で小・体育館の玄関に居た。

卒業証書なんてその場で破り捨てたかった。
ついでに、大貴の席にちゃっかり座ってる、
中学2年の頃の陸上部のユニフォームを着た「偽大貴」も破りたかった。


思い出なんて綺麗にとっておくものじゃないけれど、
多分大貴と過ごした時間は、
卒業アルバムの写真より綺麗に、
色あせず、
より美化されて心の中に残るのだろうと思った。

だって大貴は死んだのだから。

永遠となったのだから。

少なくとも私の中で。


さよならじゃない。
これから一生を共にしなくちゃいけないから...なんといえばいいのだろう?
私には分からなかったけれど、
気がつけば朝から思わしく無かった天気が、急に音出して零れた。


「濡れちゃう...。」


でも小・体育館に避難する間もなく、
土砂降りになった。


雨がだだーっと私に降り注いで、
そのまま不覚にも大号泣してしまった。


それはもう、近くに居た女子がこちらを振り向くほどに。






15歳。
冬。
体操部。
カーディガン。




あの日のような晴れた日が、はやく来ればいいと思った。
彼を失ったことに、早く気がつけるように。



グラウンド。



とてもとても輝いて見えていた。
曖昧だけど、
美しい世界。


私は個体。




通り雨が抜けた頃、
人気がなくなった校庭を、
私はしっかりと踏みしめて家に帰った。

キャッチャー・イン・ザ・ライ / 蒼樹宇明