パンク・ロック

   1985年、ひとつのロックバンドがメジャーデビューした。
   ファーストアルバムの名前は

     「THE BLUE HEARTS」

   彼らは解散の数年前まで歌い続けた。
   やさしいパンク・ロックを歌い続けた。



[Disc1.4月]

#1 「イブキベアツコ」

 <淳子>は<アツコ>と読むのだ。一か八かの勝負で勝った。私は心の中で胸をそっとなでおろす。

 「子どもたちをびっくりさせるにはね、会う前に子どもの名前と顔を一致させておいて、いきなり名前を呼んであげるんだよ。そうすると大抵の子どもはびっくりしてね、『先生なんで僕の名前知ってるの』なんて言うんだ」

 教育実習に行く前に教授がくれたアドバイスを、私は今、試している。実習の時はこちらが用意するより前に、クラスがお膳立てしてくれちゃっていたから、その言葉を実行することは出来なかった。
 そして、初めて正式な教員として教壇に立っている私は、今朝何度も頭の中でシュミレーションしたことを、台本を棒読みする要領で実行していた。

 「それじゃ自己紹介してください。名前と、自己PR。はい、鈴木くん」
 「いきなり俺?マジで?」
 まだお互い馴染んでいない生徒たちが、どっと笑う。
 中学校では教授が言ったような可愛らしい反応はなかったけれど、ランダムに当てていくという方法は成功したようだった。
 「百合さーん」
 「マドカ百合です。…よろしくお願いします」
 <円 百合>で<マドカ ユリ>。出来るだけ生徒たちを見たままで名簿に読み仮名を書いていく。
 苗字で呼ぶ生徒と、名で呼ぶ生徒を出来るだけ混在させた。最近は凝った名前の子が多いから苗字で呼ぶことが多かった。けれど、彼女を呼ぶ勇気が私には出なかった。

 <伊福部 淳子>

 まず、苗字が読めない。イフクベ?イフクブ?
 そして、名前の読み方も二通りあるのだ。<ジュンコ>と<アツコ>。
 けれど、彼女を呼ぶのを最後にしては、生徒たちに見抜かれる。「ああ、先生は彼女の名前の読み方わからなかったんだ」。
 順調に来ていただけに、それは避けたかった。彼女の名前は終盤に、けれど、決して一番最後には呼ばない。名簿を渡された時から決めていたけれど、最後まで<ジュンコ>か<アツコ>か、迷った。
 そして、勝負に出た。

 「次、アツコさーん」
 「はい、イブキベアツコです」
 <アツコ>で当たりだった。勝負に、勝った。そして<伊福部>で<イブキベ>。私は何でもないかのように「よろしくねー」と言いながらそっと名簿に読み仮名をつける。生徒から目をそらさないで他の作業をすることは、どうにも難しい。けれど、
 「それだけ?」
 と、つい言ってしまった。
 中学1年のクラス自己紹介。初めての子もいれば初めてじゃない子もいる。大抵の子は、名前を言った後に趣味を添えたり、「よろしく」と言ったり、はしゃいでいる男の子は一発芸なんかもやってみせる。しかし、イブキベアツコは違った。

 「はい、イブキベアツコです」
 そう言ってすぐ、彼女はすぐに席に着いたのだ。「よろしく」も「お願いします」も、頭下げたりすることすらなく。
 直角に座っていたブロックで出来た人形が、ピアノ線で持ち上げられて直線になり、また直角に戻るような数秒間。

 「それだけ?って何ですか」
 イブキベアツコの視線はまっすぐに私の目の中に刺さるように入ってきた。小学校を卒業したばかりとは思えないような、大人びた眼差し。私はつい目をそらしそうになる。けれど目をそらしたらきっと「負け」。
 ぎこちない作り笑顔のまま、私はイブキベアツコに話しかける。
 「ほら、趣味とか、特技とか、色々あるじゃない?せっかくなんだから、先生も知りたいし、皆だって知りたいよ」

 ああ、さっきまでうまく流れていた空気が滞り始めている。和んでいた空気を壊したのは、イブキベアツコか、私か。
 胸の中にはもやもやと黒い塊が渦を巻いている。この空気を打開したい。「初任の先生」でも、私は「先生」なんだ。

 イブキベアツコは、ため息を小さく漏らして、また立ち上がる、ブロック人形。
 「趣味は―─―特にありません。特技も別にありません」
 そして直角に戻る、ブロック人形。
 ただ瞳の奥にある思いだけは、他の人よりもずっと強く。

 私は崩れ始めた空気を変えようと、できるだけ明るく努めた。
 「趣味も特技もこの3年間で見つかるよ。じゃ、次、梶本くん」
 「梶本タケシです。趣味サッカー。終わり」
 「はい、伊藤亜由美です。よろしく」
 「脇田健吾です。バイオリン習ってます」
 崩れた空気を立て直すことは出来なかった。皆どことなく、私でもなく、指名されたクラスメイトでもなく、目の前に置かれた新品の教科書たちでもなく、違うところを見ていた。
 イブキベアツコを見ていた。


#2 「新人」

 それは入学式より遡る。顔合わせのような、新任の自己紹介のような酒の場で、こっそり年配の社会科の女性教員から耳打ちされた。
 「あなた、新任なんだから。そんな大学生みたいな服着てきちゃダメよ。目を付けられるわよ」
 彼女の服装は、花柄のブラウスに茶色のカーディガン。それにロングスカートだった。
 私も同じような服装をしていたけれど、カーディガンは黄緑で、少しだけ柄の入った膝丈スカート。ちょっと違うだけだった。他の女性教員もそんなに堅苦しい服装はしていなかったし、私は会場に入った時、それで問題ないと思ったのだ。
 でも違った。
 私と同期で入ってきた理科の下井明宏は、スーツでバッチリ決めた格好だった。会が始まるより30分前には会場前にいた彼は、開始の10分前に来た私の格好を見て少し驚いていたようだった。
 私の服装も、行動も、「新人」のあるべき姿ではなかったのだ。
 決してそのことで大声で叱られたりすることはなく、「大学出たばかりの、山崎琴子さんです。ハイ、山崎先生早速担任持つからね」と、進行係の技術家庭科の木下先生に明るく紹介された。けれど、実際にその席の人たちが何を思っていたのかなんてわからない。例の女性教員の耳打ちは親切以外の何ものでもなかったんだろう。
 けれど、今年入った新任は私と下井くんの2人だけで、下井くんの後に私が紹介されたものだから、気まずかった。

 場が盛り上がってきたところで(と言っても、私と下井くんはカチンコチンに固まっていた)、私の指導に当たる国語の北内先生が「で、山崎先生はどんな風にやってくの?」と、聞いて来た。40歳も過ぎて、そろそろ「ベテラン」と呼ばれる年齢に差し掛かっている。
 どんな、と言われても、困った。自分の考え方に自信なんて全然なかった。

 社交辞令。
 「どんなって、まだハッキリとは…。どんな授業がいいんでしょう?」
 社交辞令。
 「そんな難しいこと言わないで。国語なんだから自由な発想でいいんだよ。あるなら言ってごらんよ。アドバイスできることあるならしておくからさ」
 社交辞令。
 「自由な発想ですかあ、じゃあ」
 社交辞令終了。
 「体育館でわーっと言いたい放題叫ばせたり、叫ぶ詩人の会みたいに、自分の言葉を叫ばせたり、生徒の素直な言葉を記録していけたらって思ってるんですけど」

 北内先生の眉は、明らかに動いた。

 「それはまずいよ」

 近くで聞いていた他の教員も、遠慮がちに「斬新ね」「ホントに自由な発想」と、直接的な言葉を避けて、私の「発想」に眉をひそめた。

 「それはまずいよ、いくらなんでも。小学校ならまだしも、中学生なんだから。高校受験のことだって考えていかなくちゃいけないしさ」
 北内先生はそれまでの社交辞令の笑顔をひきつらせながら、真剣な眼差しで、間接的に私をたしなめる。
 「いや、面白いよ。山崎先生の言っていることはさ。ウン、僕もね、そういう授業やってみたいよ。山崎先生だったら、そういうことも出来そうな気がするし。でもさ、やっぱ文法とか、中学で覚える漢字だっていっぱいあるしねえ、ホラ、漢詩だって」
 北内先生は一生懸命取り繕っていたけれど、私は「言わなきゃ良かった」と、心で舌打ちした。
 最初から、私にだって自信なんてなかったんだ。

 社交辞令。
 「あはは、やっぱりそうですよね。冗談だったんですけど、遊びじゃないですしね」
 社交辞令。
 「何、冗談だったのお?折角アドバイスしたのに」
 社交辞令。
 社交辞令。社交辞令。
 社交辞令。社交辞令。社交辞令。社交辞令。社交辞令。社交辞令。社交辞令。社交辞令。社交辞令。社交辞令・・・・・



 そのやり取りを1人笑ってみていたのが音楽担当の東先生だった。

 「その冗談、面白いねえ」

 初老のその先生は、白髪交じりの髪に似つかわしくないような派手なシャツを着て、短パンという異色な風貌だった。

 「僕、山崎先生かわいいから好きだけど、それが冗談じゃなかったら、山崎先生のこともっと好きになるわ」

 東先生セクハラですよ、と、何人かの女性教員に怒られながら、その人は笑っていた。
 そして、「きみが音楽部の副顧問になると面白いわ」と、笑いながら言ったのだ。


#3 「音楽部」

 最初のうちの国語の授業は無難に済ませた。自分の担当する1年3組と、1年2組、それに1年5組だ。1学年で6クラスある中の1年生の3クラスだけを担当した。それでも決して暇じゃない。
 自己紹介、「自分について」の作文書かせ。最近読んだ本の感想。毎回のミニ作文。北内先生に指導されながら、相談をしながら、「北内流」の授業を展開していった。定められた45分という授業時間の中で私に出来ること、生徒たちに出来ること。たまに宿題。作文を書かせても、特別じっくり読むような時間もない。
 それでも目を引いたのは、私が「副顧問」を務めることになった音楽部の生徒の作品だった。

『 俺について   一年五組 松田勇気
 俺は将来、フジロックに出たい。カッコいいボーカルと、カッコいいギタリストと、カッコいいベースと、カッコいいドラムでできたバンドでフジロックに出たい。その前にフジロックを見に行きたい。だから先生、これ見たら俺に今年の夏フジロックを見にいけるだけの金をくれ。金をくれ、はウソです。
 俺は小学校で、音楽の時間いっしょうけんめい歌を練習した。ボーカルがいちばんカッコいいと思ったからだ。でも俺はいつも通知表で、音楽は3だった。5は取れなかった。くやしいから中学校でもがんばる・・・』

 その後に「俺の好きなバンド」「俺の嫌いなバンド」「俺の好きなボーカル」「俺の尊敬する人」と、羅列されていた。たまに字が間違っていたり、変なところで改行されていたり、読点の位置も変なところにあったりして、作文としては決して出来の良いものではない。けれど私はこの作文に花丸をあげた。

『とても素直な作文ですね。松田くんのことがよく伝わってきました。これからも素直な気持を持ち続けてくださいね』
 というコメントを添えて。

 そしてもう1人。私が読む機会のあった作文で、音楽部の生徒のものがあった。
 タイトル『自分について』。私が黒板に書いたことを丸写しにしたタイトルだ。マツダくんとは対照的に改行やスペースの開け方、字の間違いなどなく、作文としては優秀なものだった。自分の出身校。自分の誕生日や血液型。性格の傾向。家族構成。親の仕事。それらがきちんと文章としてまとまっていた。けれど、私はとても退屈だと感じた。
 彼女のデータは伝わってくるけれど、彼女の気持は伝わってこない。
 名前は『一年三組 伊福部 淳子』。
 イブキベアツコもまた、音楽部に入部した生徒だったのだ。

 部活動は授業の終了した3時30分から開始される。
 初めての部活の日、当然のようにあるのが自己紹介。4月は自己紹介ばかりの月だ。

 まずは9月に引退する3年生。
 3年3組エノキダ・リュウイチ。少し髪が茶色がかっていて、東先生に「榎田くん、春休み髪の毛染めたでしょ」と指摘されて笑っていた。彼が現在の部長らしい。
 3年3組イトイ・ダイスケ。難関高校の推薦入学を狙っている、と言ってざわめかれる。後から聞いたところによると、その話の実現は決して難しいものではないようだった。ただ問題があるとすれば、エノキダくんと仲が良いことであると。
 3年1組マツイ・ヨウコ。スカートは校則規定より短く、耳元に小さなピアスが見えた。こっそり後で本人に聞くと「制服検査の時に怒られるとマズいから、これ、シール」と言って、はがして見せた。私は何故か嬉しくなって、どこで売ってるか教えてもらった。そう。シールなら問題ないじゃない。
 3年6組コジマ・ショウコ。エノキダくんと付き合ってるようで、エノキダくんが何か言うと、照れ笑いをしていた。うっすら塗られたファンデーションと、ピンクの口紅。マツイさんとお揃いの「ピアス」。
 3年2組ゴトウ・マコト。特徴のない生徒に見えたが、指先にはマメがいくつも出来ていた。3歳の頃からピアノを習っていて、受験も音楽科のある高校を受験するとのこと。マメはピアノを弾き続けて出来たものだった。

 2年生は、4組のキタザワ・ハルカという少女だけだった。その学年では昨年度末に揉め事が起きて結局残ったのがキタザワさん1人だけだったらしい。

 そして、その揉め事の噂を聞きつけてか、音楽部に新しく入学したのはマツダくんと、イブキベアツコと、1組のキノ・ジュンジの3人だけ。キノくんとマツダくんは同じ小学校から上がってきて、仲が良かったらしい。

 3学年合わせて、9人。
 たったこれだけでやる「音楽部」の活動は何だろう。私には想像できなかった。音楽部とは別に「吹奏楽部」が存在しているからには、歌を歌うのだろうか、マツダくんは歌が上手くなりたいと言っていたし。けれど合唱するにはあまりに少ない人数である。
 私がそんな疑問を抱いていると、東先生が私をみんなの前に押し出した。
 「ハイ、じゃー、若くてピチピチの副顧問から自己紹介」
 突然のことでびっくりしたけれど、4月は自己紹介の月。
 私は、裾にレースをあしらったパンツに水玉のブラウスという姿で、9人の生徒と1人の先生の前に立つ。

 新人でも、私は私のスタイルを崩したくなかった。

 「こんにちは。山崎琴子です。イブキベさんのクラス担任、してます。マツダくんのクラスも受け持ってるね。担当教科は国語ですが、東先生に誘惑されて、音楽部にやってきました。先生1年生なので、至らないところ沢山あると思うけど、よろしくお願いします」

 そう言って頭を下げると、エノキダくんが「コトコちゃん可愛い!」と声を出して、コジマさんに後ろから背中を蹴られていた。エノキダくんは「愛しいよりもいじめたいよりももっと乱暴なこの気持ちぃ」と言いながらわざとらしく倒れる。この学年は仲がいいんだな、と思った。同時に、2年生は何があったのかな、とも思う。
 マツダくんが「先生、俺もコトコちゃんって呼んでいい?」と言うとキノくんも「俺も呼ぶ」と言う。
 「お好きにどうぞ」
 そのほうが私だって気楽だ。私は「先生」だけれど、「山崎琴子」でもあるんだから。

 私が元通り、東先生の隣に行くと、東先生は2年生と3年生に向かって「それじゃ、新入生と新人先生の入部を祝って、レッツゴーだ」と、声をかける。

 第2音楽室の準備室の扉をゴトウくんがさっと開けた。たった数メートルの距離を走って準備室に入り込む6人の中学生。そして、それぞれ大荷物を抱えて出てくる。
 スタンドマイク。
 ドラム。
 ベース。
 ギター。
 アンプ。
 そして元から置いてあった電子ピアノ。
 すげえ、と呟くマツダくんとキノくん、呆気にとられる私に、表情ひとつ変えないイブキベアツコは、イトイくんがさっと並べた席に誘導されて座らされる。

 マツイヨウコがスタンドマイクを手に取った。キタザワハルカがドラムのスティックを握り、椅子に座る。2本のエレキギターを肩にかけたのはエノキダくんとイトイくん。コジマショウコがベースを手にすると、ゴトウマコトが電子ピアノの前につき、最初の音を出す。アンプチェックは東先生。

 ゴトウマコトの音にキタザワハルカがリズムを乗せると、第2音楽室はライブハウスになった。



[Disc2.6月]

#1 「イブキベアツコ.part2」

 「伊福部」という表札の向こうにはそこそこ大きな家が建っていた。
 チャイムを鳴らして「アツコさんの担任の山崎です」と、スピーカーに向かって話しかける。スピーカーから「どうぞお入り下さい」と声が聞こえてきて、門を開けると、きっちり手入れされた鉢植の花たちが私を迎えた。そこから玄関までのごくごく短い距離を歩くと、玄関が開いて、鮮やかに着飾ったイブキベアツコの母親が笑顔で「どうぞ中までお入りになって」と、私を間口まで招く。

 今日ばかりは、新人の先生みたいなスーツを着てきた。学校を出るときに下井くんに「今日は先生らしい格好ですね」と言われた。嫌味な口調でもなかったけれど、嬉しくさせる言葉でもなかった。下井くんはいつもより、多少値がはってそうなスーツを着ていた。少し不似合い。けれど、いつもスーツなんか着ない私のほうがきっとずっと不似合いなのだ。

 イブキベアツコの母親は間口で「ここまでで」と言う私を半ば強引に客間に招いて、お茶とお菓子を出した。本来いただいてはいけないものだけれど、断ると却って失礼だからいただく。お茶はいい温度で入れてあるし、お菓子だって高そうなものだ。
 イブキベアツコの母親は「いつもアツコがお世話になっています」と懇切丁寧に頭を下げて、「アツコ、いらっしゃい。先生よ」と、廊下から階段の上に声を上げた。
 家庭訪問は時間がそこそこ決まっていて、イブキベアツコの家は母親が専業主婦だというので早めの時間に設定してあった。だからここであまり時間を食っては、次の家にまわるのに支障をきたすのに。
 「お母さん、結構ですよ。アツコさんも居づらいでしょうし」
 けれど、イブキベアツコは階段から下りてきた。直線のようにまっすぐ立って、客間に入ってくる。その姿は、玄関の前に飾ってあった鉢植の花を思い出させた。ブロックを組むように、綺麗に並べられた植木鉢。雑草などまるで生えていなかった。
 よく似ている。母親に、ではなく、植木鉢たちに。
 イブキベアツコは、頭を下げると「どうもわざわざ」と言ってソファに腰をかけた。
 イブキベアツコの母親は、笑いながら「この子ったら、愛想なくって、すみません」と言った。
 「そんなこと」
 私がイブキベアツコの母親の言葉をおべんちゃらで誤魔化そうとすると
 「そんな嘘いりません」
 打ち消すように、イブキベアツコが瞬時に言葉を放った。
 「私、愛想悪いです。すみません」
 相変わらずイブキベアツコは瞳を凝視してくる。こちらの真意を探るように。こちらを全て見透かそうとするように。幼い子どもが無意識的に大人の真意を探ろうとするのとは違う、意識的なその瞳。
 イブキベアツコの母親は一瞬だけむっとした表情を見せる。けれどすぐにさきほどまでの笑顔に戻り、「ねぇ、この子ったら、先生にご迷惑ばかりかけてるでしょ?」と、その場を取り繕うように明るく振舞った。4月、初めてイブキベアツコに出会ったときの私のように。
 今度は私が打ち消す番。
 「いいえ、まったく迷惑なんか」
 実際、もう少してこずらせてくれても良いくらいに、イブキベアツコは迷惑をかける存在ではなかった。課題はこなし、授業も真面目に受け、掃除も真面目に行い、愛想が良くないと言っても団体行動を乱すほどでもなかった。ライブハウスこと音楽部ではその歌声にマツダくんが彼女を1年生のボーカルに推した。9月の文化祭では1年生のお披露目ライブを行い、その後3年生の卒業ライブを行う。最後は全学年での合同ライブ。人数の都合上キタザワハルカは両学年のライブに出演しなくてはならなかったが、彼女はそれを文句ひとつ言わず受け入れた。そして、イブキベアツコもボーカルを担当することをひとことの文句もなく受け入れた。
 「部活でもしっかりやってくれていますし。歌もすごく上手でびっくりしてます」
 そう言うと、イブキベアツコの母親はくしゃくしゃに顔をほころばせた。
 「まあ、そうなんですか。アツコ、やっぱりキタ中に入って正解だったわねぇ。あんな解放的な部活があるの、キタ中だけなんですもの」
 「私とこの子、オペラやってるんです。でもアツコは若いんだから、もっとはじけたこと出来た方がいいと思って」
 それまでの中で、いちばん嬉しそうな顔をしていた。

 イブキベアツコは越境入学だった。それはイブキベアツコの住んでいる地域が学区の境にあり、イブキベアツコが普通に公立中学に進学すればいわゆる「ガラの悪い」生徒がたくさんいたから出来たことでもあったが、他にも理由はあった。
 東先生が言っていた。
 「お母さんのたっての願いでね。バンド活動が部活で出来る解放的な中学校なんて他にないからって」

 授業ではどんな調子か、友人関係はどうか、といった、家庭訪問で言う当たり前のことを私はつらつらと述べていたが、イブキベアツコの母親は娘の文化祭にばかり頭がいっているようで、「曲は?」「必要だったら楽譜あげますわ、ウチ、たくさんあるものねぇ?」「それで?4ピース?3ピース?」といったことばかりを話しかけた。

 ――それは、私が話すことじゃない。

 違和感が私を覆う。

 ――それは、イブキベアツコが話すことだ。


 結局、15分の予定が30分の滞在となった。イブキベアツコは終始ソファに座っていたが、発言は、あの一度のみだった。あとは影のように、はつらつとした明るい母親の影法師のように、ただそこに居るだけだった。
 イブキベアツコの母親は門の前まで娘をたずさえ私を見送った。
 イブキベアツコの家が遠くなった頃、振り返ると、楽しそうに家に入っていくイブキベアツコの母親の姿と、玄関前に添えられた花のように立ち、こちらに視線を送り続けるイブキベアツコの姿が見えた。

 イブキベアツコは、迷惑をひとつもかけない。
 イブキベアツコが私に「かけて」いるものは
 「問い」
 だ。


#2 「ロック」

 胃が痛いとはこういうことを言うのだ。
 ある朝、目覚めたときに感じたキリリとした腹部全体の痛みで、そう思った。
 初めて感じた痛みではなかった。教壇に立ってから何度か感じたことのある痛みだった。ちょっとしたストレス。疲労。そう言い聞かせて今までやり過ごしてきた。
 けれど、胃が痛い。痛みを訴えるように、自然に涙が出てきた。
 鎮痛剤を飲む。こんなのじゃ効かないことはわかってる。けれど仕事を休むわけにはいかない。「夜になっても痛かったら病院に行こう」。涙で赤くなった目を鏡で見ながら、声に出して言い聞かせ、再び溢れようとする涙を圧し止めるように蛇口をいっぱいにひねると顔にいきおいよく水をかけた。
 大きなドットをあしらったワンピース。薄手のピンクのカーディガン。ストッキングなんかはかない。夏めいた今日はサンダルだ。「先生」になって3ヶ月目。新人だから、という理由での失敗が通用しなくなってくるなら、新人だから、という理由で服装を制限される必要はないはずなんだ。

 私の服装は、私が決める。
 これだけは、私が中学に入った頃からの強いこだわり。10年以上持ち続けてるポリシー。
 ピアスなんてシールでもご法度だった。スカートの丈は長すぎても短すぎてもいけなかった。靴下は白、くるぶし上で三つ折。みんな同じブランドの白い靴。カラーリップはもちろんのこと、香りつきリップも許されなかった。リップクリームは荒れ防止のメンソレータムだけ。リボンの長さの比率も、髪の毛の結び方も、ゴムの色も決まってた。
 小学生の頃は許されたことがどうして中学校では制限されるのかわからなかった。
 私の小さな抵抗は、セーラー服の中の下着を可愛くすること。
 水玉。キャラクター。イチゴ柄が可愛い。たまに奮発してレースつき。ピンク。黒。ボーダー。
 学校に行くのが億劫な日は、特に一生懸命選んだ。
 「今日はこの下着だから楽しく学校に行けるんだ」
 自分に言い聞かせて、言い聞かせて。

 言い聞かせて、言い聞かせて。職員室に入って、まずカッターシャツにネクタイの下井くんが眉をひそめ、メモ帳に走り書きをすると、私にさっと手渡した。
 「派手過ぎ」
 それだけ。
 口で言えばいいじゃない。
 そう思えば胃が痛む。
 朝の職員会議。
 目線はときに私にうつる。そして北内先生にもうつり、東先生にもうつる。
 「新人の指導不足」
 そんな言葉が会議の狭間に頭に浮かび、胃がますます痛む。

 職員会議が終わって、教室に向かおうとすると、北内先生に呼び止められた。
 「山崎先生、ちょっと、それは先生として示しがつかないからさあ」
 曖昧な言い方。
 私の胃にはきっと別の生き物が住んでいる。その生き物が私の胃を食い荒らす。
 吐き気。
 耐えて。
 「今日、天気良かったから、ついはしゃいじゃって。申し訳ありません、先生にまでご迷惑かけてしまいまして」
 明るく務めて、教室へ。
 食い荒らされて血まみれの私のお腹。
 吐き気。
 耐えて。
 耐えて。
 舞い戻って。
 職員用トイレで、吐いた。


 さっとメイクを直してトイレを出ると、東先生がいた。
 「先生、ごめんなさい。私の服装のせいで」
 言いかけた私の頭を撫でて、
 「僕、ますます山崎先生気に入ったわ。その年でロックしてるの、歌手と山崎先生くらい」


#3 「音楽部.part2」

 関わったことのない部活の指導に疲れる若い中学校教員は多い、と今朝の新聞で読んだ。が、私の場合、東先生からアンプチェックの仕方や、電気関連の危険性を教えられるだけに留まり、「あとは好きにやらせる部だから」という言葉で救われた。運動部に入ったことがないという下井くんは身長の高さだけでバレー部に配属されて毎日大変そうだ。その「お情け」みたいな感情が、下井くんの私に対する「嬉しくない態度」への反発心を抑えていた。

 9月の文化祭に向けての準備は着々と始まっている。
 4月・5月は1年生にギターやドラムを触らせたり、ゴトウくんのピアノに合わせて歌ってみたり、基本的なコードだけの曲を演奏したり。
 その中で、5月の末に決められた。1年生の発表の配分。
 ギター:キノ ジュンジ
 ベース:マツダ ユウキ
 ボーカル:イブキベ アツコ
 ドラム:キタザワ ハルカ(2年)
 「歌が上手になりたい」と作文に書いたマツダくんは、最初「ボーカルがやりたい」と言っていたけれど、イブキベアツコの圧倒的な歌唱力に打ちのめされたらしく、最終的には彼女を推薦する立場にまわっていた。その次には、女の子ながらに低音のベースを激しくかき鳴らすコジマさんに憧れたらしく、「ベースやりたい」と主張した。彼の意見はころころ変わる。
 キノくんは最初からギターを希望していたし、人数の都合上誰もいなかったのでドラムはキタザワさんに自然に決まった。「9月過ぎたら誰かに伝授していきます」と言って引き受けた彼女であった。

 曲は各学年3曲。1年生はそのうち最初の1曲を「ザ・ブルーハーツ」の「未来は僕等の手の中」にすると決まっていた。それは伝統的なことらしい。残り2曲は自由に決めて良かった。自分たちで作っても良かった。3年生も毎年必ず演奏するのが、同じく「ザ・ブルーハーツ」の「終わらない歌」。そして最後に全学年で演奏するのは「TRAIN-TRAIN」であると決まっていた。
 仲の良い3年生はもう他の曲も決めているらしく、授業が終わるとすぐに第2音楽室に飛び込んできて練習を始めていた。折角の女性ボーカルだから、と、「JUDY AND MARY」から1曲。「ドキドキ」。どちらかといえば古典的な曲である。私も好きな曲だったから懐かしさではしゃぐ。たいして音楽に詳しいわけでもないけれど、勝手に口出ししてしまう。そこは、もっと切なさ出すんじゃない?とか。学生時代に戻ったみたいで楽しい。もう1曲は今エノキダくんとゴトウくんが中心になってオリジナル曲にするつもりらしい。歌詞はマツイさんが考えている。

 ところが1年生は「課題曲」以外決まっていなかった。
 マツダくんは次々と自分の好きな曲を挙げる。そしてコード表を見ては挫折。先輩であるコジマさんにも「それは2ヶ月ちょっとじゃ無理」と指摘される。「フジロックに出たい」と堂々と作文に書いた彼は、最近始まったばかりの声変わりと一緒に心の中も変化を遂げつつあるのかもしれない。「北内流」でたまに出す作文の課題で、最近彼の言葉は迷走し続ける。
 キノくんはマツダくんと一緒にコード表を見ては、とりあえず音を鳴らしてみている。そして、すぐに挫折するマツダくんに「何でだよ」と文句をつける。入ったばかりの頃仲が良かった2人は、今ではすぐに喧嘩腰だった。
 マツイさんが、私への誕生日プレゼント、と言って、シールピアスを渡しながらこっそり耳打ちをする。
 「ああやって、今の2年生、どんどん分裂してったんだよね」
 関係が固まるのか、崩れるのか。それが決まるのがこの時期なのだという。
 マツイさんはたまに私に「その服どこのブランド?」とか「パーマかけたほうが可愛いよ」と話しかけに来る。そういう時、たいてい彼女の友人のコジマさんはエノキダくんと話をしていて、ああ、中学校の頃の友達関係ってこんなかんじだったっけ。そんな感傷に私を浸らせる。

 そして、イブキベアツコは、全くと言って良いほど自分から曲を選ぼうとしなかった。たまに楽譜を大量に持ってきて、他の人たちを驚かせるくらいだった。エノキダくんやイトイくんが「これ、超レアじゃん」とはしゃぐほど。そして、みんなが曲選びに必死になっている間、彼女は第2音楽室の片隅に椅子をひとつもってきて、耳かけヘッドフォンをかけると、窓枠に肘をかけてもたれるようにしてMDウォークマンを聞いていた。雨の日も、晴れの日も、彼女はそうしていた。
 彼女は迷惑をひとつもかけていなかった。けれど、協力もしていなかった。
 窓際で13歳の少女が聞いている曲が何なのか。それに関心を持たない人はいなかっただろう。けれど、その質問を拒否するように、彼女を包む空気のドアにはカギがかけられていた。その部屋に入るにはカギを壊すしかないように思えた。けれどそうすれば、同時にイブキベアツコすら消えてしまうような気がして、私は何も言えずにいた。

 その部屋を叩き壊したのはマツダくんだった。6月も終わりごろになると、楽譜を見ても集中が続かないようだった。
 イブキベアツコがもってきた楽譜の中から、キノくんが「これいいんじゃない?」と1つの曲を見つける。「ベースもあんまり難しくなさそうだし。ギターもそんなに複雑じゃないや」。マツダくんはむっとした顔で「カッコ悪い」と言う。するとキノくんもむっとした表情を見せて「でもカッコいい曲選ぶと、ユウキが弾けないって言うだろ」と反論した。その様子をチラチラ見ながら3年生は曲作りをしている。キタザワさんは何も言わずに楽譜を見ていた。

 マツダくんは唐突に楽譜の束に背を向けると、第2音楽室のすみっこでMDウォークマンを聞いているイブキベアツコの前に行った。ヘッドフォンをとりあげる。床にたたきつける。カタンという音とともにヘッドフォンのアルミ部分が少し欠ける。破片が私の足元に飛んで、素足に当たった。少しだけ血が出る。マツイさんが眉をつりあげてガタリ、と席を立った。彼女が「マツダ!」と言うのとほとんど同時にマツダくんのかすれ声が第2音楽室に響いた。
 「一人だけ何してんだよ!あの楽譜持ってきたのお前だろ!歌が上手いからって、いい気になんなよ!」
 イブキベアツコは、一瞬だけ目を大きくして驚いたが、すぐにいつもの無表情に戻る。そしてマツダくんの目の奥を見ようとしていた。マツダくんはその反応が気に食わなかったらしい。イブキベアツコの右手をつかむと、椅子から引き離し、イブキベアツコの体が床を叩きつける。膝の上に置かれていたMDウォークマンが、カタン、カタン、と、楽譜の束に向かって飛んだ。散らばる楽譜の束。
 キノくんが「ユウキ!」と、マツダくんの肩をつかむ。走りかけたエノキダくんを抑えたのはイトイくん。「騒動広げてどうすんだ」。コジマさんはそれを見て肩をすくめる。
 マツダくんは怒鳴り続けた。
 「お前歌が上手いからちょっと練習すりゃいいかもしれねえけど、俺たち初めてなんだよ!自分勝手だろ!」
 肝心なときに東先生はいない。私はとりあえず「マツダくん、もうやめて」と言って「あんただって先生ならもっとちゃんと指導とか注意とかしろよ」と言い返されるだけだった。音楽部に来ることで少しおさまる胃の痛みがまた強くなる。
「ツライ」というのは、こういうことなんだ。返す言葉も見つからず、私はイブキベアツコを起こして「大丈夫?」と聞くことしかできなかった。イブキベアツコの白い陶器のような頬に擦り傷が少し出来ていた。けれど、相変わらず無表情を保っていた。
 そして「大丈夫じゃないのは、先生じゃないの?」と、問い返す。

 攻撃される側にも理由はあり、攻撃する側にも理由はある。そのどちらも、大切にしたいと思っていた。生徒の問いかけには真摯に答えていきたいと思っていた。だというのに、今、私は、誰の問いにも答えていなかった。
 ただ、自分の心を閉ざし、「先生」のような言動をしているだけだった。

 吐き気。

 胃を一気に食い荒らす生き物。

 私は、「ごめんなさい」という言葉とともに、第2音楽室を飛び出すと、いちばん近いトイレで、吐いた。今日の給食も全て吐いた。それでも吐いた。胃液と一緒に出てくるのは嗚咽だった。

 私は、「サイアクなセンセイ」だ。


#4 「『ある晴れた日に』」

 私がトイレから出ると、マツイさんが、扉の前で待っていた。
 一生懸命、笑顔を作りながら「ごめんね、逃げ出しちゃって」と言いながら、私は、涙も、声の震えも隠せなかった。
 マツイさんは、胸ポケットからポケットティッシュを取り出し、手洗い場で少し濡らすと、さっきヘッドフォンの破片が当たった傷口にあて、乾いた部分で水っ気を拭き取ると、同じく胸ポケットから取り出した生徒手帳からバンドエイドを取り出して、貼った。
 「コトコちゃんの足、綺麗なのに。バンドエイド貼ってカッコ悪くしてごめんね」
 そう言いながら。
 私は、「そんなことないよ。ありがとう」と言いたくてたまらなかった。けれど言葉は喉につかえて、嗚咽だけがこぼれた。

 30分くらい経っただろうか。
 私とマツイさんが第2音楽室に戻ったときには既に騒動はおさまっていた。
 そして、マツダくんが、それまでイブキベアツコが座っていた椅子に顔をつっぷして、えぇん、えぇん、と、幼子のように泣いていた。その声は変声期の所為でかすれていたけれど。
 イブキベアツコは、さきほど倒された床に座り込んだまま、そのマツダくんをじっと見ていた。キノくんは再び楽譜に目を向けて、エノキダくんとコジマさんは姿を消していた。イブキベアツコの頬にもバンドエイドが貼ってある。マツイさんがそうしたのだろう。私よりもずっと対応が早かった。
 私は、深呼吸をすると、頭を下げて、「逃げ出してごめんなさい」と、だけ言った。
 五線譜ノートに書き込みをしていたゴトウくんが「仕方ないですよ、あれじゃ」と、こちらに顔も向けずに言った。イトイくんも、五線譜ノートを見ながら「あのテのは毎年恒例」と少し笑った。
 東先生は、これまでも、こういう状況を乗り越えてきたのか。
 私は感嘆し、自分を恥かしく思った。
 私は、結局、自分の保身しか考えていなかったんだ。


 泣き続けるマツダくんを、ずっと見つめていたイブキベアツコが、口を開いた。
 「ごめんなさい」
 キノくんが、楽譜から少し目をそらしてイブキベアツコを見た。
 「いい気になってるつもりじゃなかったわ。でも、私、特に好きな歌も、曲もなかったから」
 「マツダくんと違って、歌いたくて部活に入ったんじゃなかったの」
 「ママに言われたから入っただけだったの」
 最後の言葉の、語尾が、少し震えた。
 イブキベアツコを覆っていたブロックが、崩れ始める。

 東先生の言葉を思い出す。
 『お母さんのたっての願いでね。バンド活動が部活で出来る解放的な中学校なんて他にないからって』

 「解放的」な中学校に、「ママに言われて」越境入学し、「ママに言われて」音楽部に入った、13歳の少女。

 キタザワさんは、イブキベアツコのMDウォークマンを、少し欠けたヘッドフォンで聞いていた。
 「ある晴れた日に」
 そう、呟いて、私を見上げた。私はキタザワさんからヘッドフォンを受け取ると、耳にかけた。

 耳の中に響いてきたのは、オペラ「蝶々婦人」で有名なアリア「ある晴れた日に」。
 アメリカに帰った夫を待ち続ける幼い妻。本国で妻をもうけているとも知らずに、夫が日本に帰る日を信じ続ける蝶々婦人。
 ある晴れた日に、高らかな声で「夫は帰ってくる」と海を眺めて歌う蝶々婦人。

 13歳の少女が聞き続けていたのは、この曲だったのだ。

 私の口が、自然に動いて
 「オペラ、好きなの?」
 と、言っていた。
 彼女の部屋はボロボロに壊れていたけれど、彼女は消えたりしなかった。ただ、そこにいた。
 「わかりません」
 言葉は震えたまま。
 「来月、ママと入ってるオペラサークルで、発表があるんです」
 また、「ママ」。
 「だから、覚えていかなくちゃいけなくて」
 マツダくんは、泣きはらした目でふりむいて、ガラガラになってしまった声でイブキベアツコと向かい合った。
 「歌、嫌いなのか」
 「わかんないわ」
 せきとめられていたものが、溢れ出した。強い瞳はマツダくんを見るわけでもなく、私を見るわけでもなく、ぼろぼろ涙を流しながら、これまでにないくらい強い口調で、問いかけた。
 「好きなのか、嫌いなのか、わかんないわよ。どうして好きと嫌いしかないの。私は、わかんないのよ」
 息を切らして、言い切ったイブキベアツコを、『ある晴れた日に』、その曲と裏腹に曇った空から差し込んだ太陽が、少し照らした。
 うっすらと床に影法師が出来る。
 その影法師は、イブキベアツコ自身の、影法師。


#5 「音楽部.bonus version」

 騒動から1週間経って、1年生の曲目が決まった。1つは最初にマツダくんが「これがいい」と言った曲。ベースコードは非常に複雑だった。それを「私がベースやるから、マツダくんが歌えばいいわ」と、イブキベアツコが言った。マツダくんはびっくりしていたが、「マツダくんが、この歌が好きなら、歌えばいい」と、イブキベアツコは返した。
 「俺、歌下手じゃん」
 「練習が足りないだけよ」
 キノくんが「ユウキはさぁ、すぐ諦めるから上達しないだけだって」と、フォローを入れる。真面目にギターを弾き続けたキノくんの腕前は、エノキダくんたちのレベルに近づいていた。
 もう1曲は、「ある晴れた日に」。それはキノくんの提案だった。
 「イブキベ、どうせ来月発表あるなら一石二鳥じゃん」
 「アリアよ?」
 そう問いかけるイブキベアツコの表情は以前よりも少し豊かになっていた。マツダくんが「ロック風にアレンジすれば」と言うと、キタザワさんが「考えてみる」と言って、楽譜を見ながらスティックで机を何度か叩き始めた。

 3年生の練習も順調に始まってきた。オリジナル曲は、五線譜ノートを3冊潰した挙句に「JAMって、そこにマツイが歌を乗せてく」ことに決まった。

 練習は時間別。最初1時間を3年生が楽器を使って練習。その間1年生は他の楽器で代用しながら廊下に出て練習。次の1時間はその逆。今年は2年生の発表がないから、と、部活に利用できる2時間30分のうち30分は「TRAIN-TRAIN」を練習。
 メインボーカルはマツイさん。サブがイブキベアツコ。ギターやベースの数が限られているので、途中で3年生と1年生は交代しながら、空いている時にバックコーラスを入れる。キノくんはドラムにも興味を示して少しだけキタザワさんを手伝う。
いつ交代するか、誰がどこでどうするか、たまに口論しながら練習は進む。

 東先生はその様子を満足気に見つめる。
 「いいねぇ、こいつら」
 自分がやりたいことを、自分が本当に好きなものを探りながら。
 第2音楽室が奏でる音は、私に力を与えた。


[OMAKE Disc]

#1 「ロック.part2」

 9月の頭に、私の研究授業があった。他の学校の先生たちも参観に来て、後から評価を受ける。
 その日のために私は北内先生と何度も打ち合わせた。
 詩の授業。目標は「詩を味わう」。
 詩を読ませる。解釈をさせる。感想文を書かせる。そんな簡単な指導案を立てる。北内先生のチェックが何度か入り、生徒との問答なども予想して入れていく。そして詩の授業の意義等々、無意味な前文。研究授業で、他の人も来るんだから冊子にして渡さなければならない。

 声を張り上げて歌うからロックなのではない。荒々しく演奏するからロックなのではない。
 イブキベアツコは「ママに言われて」、ロックを演奏出来る中学校に入学した。
 でもそれはロックではない。


 研究授業だって、ロックに出来る。


 スーツは着ない。いつもと同じように、それ以上に、服装にこだわった。黒のパンツスカートに、カジュアルなパーカー。
 参観に来た先生たちはそれだけでも驚いた顔をしていた。
 「では、今から体育館に移動します」
 国語の教科書を持った生徒たちがぞろぞろと体育館に移動していく。疑問符を頭の上に乗せたまま。
 北内先生が顔面蒼白といったかんじで、私のそばに来て小さな声で耳打ちをする。
 「指導案と全然違うよね?変更する場合は事前に言わないといけないって言いましたよね?」
 「サプライズのほうが、面白いかと思って」
 そう答える私の全身は緊張でカチコチだ。音楽部の生徒たちも、発表前にはこんな風になるんだろうか。
 「静かに通ってよ」
 振り返って、少しざわめく生徒らを注意する。ついてくる人々の中には笑っている他校の教員や、冷や汗でびっしょりのうちの中学の教員。下井くんは目を丸くして、冷や汗をかきながらも、私の目を見てきた。それは、いつも真意を問いかけようとするイブキベアツコの目にも似ていた。イブキベアツコは、当然のように、私の目を強く見た。
 4月、打ちのめされそうになったその視線に、私は負けない。彼女が瞳で真意を問いかけるなら、私も瞳で真意を伝える。

 体育館で、「それじゃ、教科書78ページ開いて」という私に、戸惑いながら教科書を開く生徒たち。少しだけ、イブキベアツコが笑顔を見せる。
 北内先生はさぞかし胃が痛いことだろう。あとで私の常用胃薬をあげる。
 課題の詩は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」。
 体育館の一番端に生徒を一列に立たせ、私はその反対の端に立つ。
 「一番大きな声で、自分のペースで、読んでください!」
 私も大きな声で言う。
 最初、生徒の反応は小さい。ぼそぼそとした声で聞こえる。参観に来た先生たちは体育館の入り口付近で固まっている。
 「先生に、聞かせてください!」
 大きな声で言う。

 「アメニモマケズーッ」
 お調子者の鈴木くんが、大きな声を出し始める。それにつられて、鈴木くんの友達も声を出し始める。
 「カゼニモマケズーッ」

 声を張り上げるからロックなのではない。
 けれど、体を張って、見えない壁にぶつかっていくことは、ロックなんだろう。

 誰かが言う。「テストにも負けずーッ」。どっと笑いが起こる。
 けれど、これこそ私が待っていたもの。
 詩を味わう
 それは、形式的な解釈を行うことじゃない。
 「ミンナニデクノボウトヨバレ」
 それほど大きな声ではないが、よく響くのはイブキベアツコの声。
 「ホメラレモセズ クニモサレズ」
 そういうものに、私はなりたい。

 誉められるためじゃなく、ただ自分の信念を通すためにそこにいる。
 そういうものに、私はなりたい。


#2 「パンク・ロック」

 下井くんに誘われて飲み屋に行った。初めてのことだ。
 私の研究授業の評価は散々だった。泣きたくなるような言葉もたくさん言われた。それでも、「あれも、国語の授業の一形態だと、私は信じています」と、言った。相変わらずすぐに痛む胃、すぐに訪れる吐き気。でも、もう逃げ出したくなかった。

 下井くんはビールを頼むとネクタイを外した。
 私はウーロン杯を頼む。

 「びっくりしたよ」
 下井くんは、出されたおつまみを食べながら、言った。「先生」という衣を外せば、こんなラフな行動も出来る人だったのだ。
 「普通、研究授業って、発表する側が冷や汗なのに、参観する側が冷や汗だった」
 それで、少し笑う。
 「そんなことないわ。私だってすごく緊張してた」
 そういって笑った途端、肩の力が抜けて、涙が出てきた。緊張。罵声。疲労。それでもやりぬきたかったこと。
 下井くんが「俺が泣かしたみたいじゃないか」と、困った顔でハンカチを差し出した。
 それから、壁にもたれかかってため息をつきながら
 「なんてゆうか、ロックだよな」
 と、言った。
 ビールとウーロン杯が運ばれてくると、下井くんはビールをぐっと飲んだ。
 「東先生にも言われたわ」
 ウーロン杯を飲むと、ますます涙が出てくる。鼻水も一緒に出てくるから、ティッシュで鼻をおさえた。それから、「手羽先と枝豆ください」と、近くのお兄さんに注文する。下井くんが「あと、チャーハンも」と追加したから「私もお願いします」と、追加した。私と下井くんは、傍から見れば別れ話をしているカップルにでも見えるだろうか。
 今日は俺おごるから。そう言って、下井くんは枝豆を食べる。
 「パンク・ロックって、意味知ってるか?」
 「パンク・ロック?」
 ロックは、ロックでしかないと、私は思っていた。私の中で音楽の分類などどうでも良かった。ただ、東先生にロックだといわれたから、「反骨精神じゃないの?」と、聞き返した。
 下井くんは枝豆を食べ続けながら、「ま、そうなんだけどさ…形式化されたそれまでのロックに対して生まれたタイプのロックなんだよ」と言った。
 詳しいのね、と言うと、中学の頃ロックばかり聴いてたから、と答えた。
 「学校なんてさ、形骸化していくようで、いつだって変革を狙ってる。その変革だってすぐに形骸化していく。でも、そこにストレートに『反発してやる』っていう態度はさ…パンク・ロックだよ」
 そう言うと、下井くんは天井を見上げた。その目は何かを探そうとする目。


#3 「文化祭」

 イブキベアツコの母親は、父母席の一番前にいた。有志の出し物が行われたあと、各部活の発表時間になる。
 簡易な照明が当たって、キタザワハルカがドラムを叩いた。スタンドマイクを握ったのはマツダユウキ。スタンドマイクを持ったままジャンプすると、ベースとギターが入る。イブキベアツコがベースを奏でる。
 「未来は僕等の手の中」
 舞台袖からチラリと見ると、イブキベアツコの母親は仰天の顔をしていた。そして、ベースを奏でるイブキベアツコの豊かな表情。少しだけ歌の上手くなったマツダくんも、本番の高ぶったテンションで音をはずす。それでもいいだろう。
 3年生はマツイさんが中心に衣装を作っていたけれど、1年生は制服そのままだった。それが、彼らなりに模索して得た結論だった。
 続いて、X-JAPAN「Joker」。これをマツダくんが歌うのは無理だろうっていう話もあったけれど、マツダくんをサポートする形で4人が声を出すことで、下手ッぴでも歌いきる。
 最後は、キタザワハルカがひとつ、ドラムをやさしく叩く。ヴァイオリンでもチェロでもない。豪華なオーケストラもないけれど、歌われたのはアリアそのものの「ある晴れた日に」。イブキベアツコの声が体育館に響き渡る。
 ロック風にアレンジされたものも作っていたけれど、「この歌の本質を引き出したい」というイブキベアツコの願いで、やさしく、力強いクラシックが仕上がった。
 イブキベアツコの母親にも胃薬が必要かしら、と思う。
 3年生は「ドキドキ」で始まって、オリジナル。ほとんどギターとベース、ドラムによるセッションのところどころで叫ぶようにマツイさんが歌う。

  いつでも欲しいのは
  本当のことだけ。
  明日消えてしまう声ですら
  今日愛したのなら
  それは本当なんだろう・・・・

 そして、「終わらない歌」。演奏しながら、全員が歌う。そのまま続けて1年生が舞い込んで、「TRAIN-TRAIN」。
 練習や打ち合わせと違うハプニング。
 それでも歌い続ける彼や彼女たち。奏でられる音。
 私と反対の舞台袖に控えていた東先生が、笑顔で聞き入っていた。

 中学生の頃はロックばかり聴いていたという下井くん。
 この歳でロックしてるのは歌手と私だけだと言った東先生。

 それでもいつだってパンク・ロックが愛されるのは、新しいものを形作ろうという姿勢だから。
 それと同時に、守り抜こうとするものがあるから。


 私はやさしい気持になって、舞台で奏でられる音に耳を傾けた。






   THE BLUE HEARTSは1996年に解散。
   けれど今もその歌は愛され続けている。
   やさしいパンク・ロックは、今も愛され続けている。

つな缶。 / とびたつな