還らない日

1.
別段、いつもと何も変わらない日―。
けれど何がそうさせているのか、
ふと昔を思い出しては頭から離れなくなることがある。

今日も、そんな一日でまたそれもいつもと変わらない日になるはずだった。

記憶の中へ泳ぎだしたのは、通勤電車の中。
乗ってしまえば、10分の距離。
ドアのはじによりかかり、地下鉄のまっくらな窓の外をぼーっと眺めていた。


3年前に別れたこうすけのことを思い出していた。
些細な喧嘩をきっかけに、お互い謝ることが出来ずに
そのまま疎遠になって関係が消滅したんだっけ。

些細な喧嘩―?

あれ―。

電話で言い争いをしている自分の姿が鮮明に見える。
自宅のベッドに座って、二人が笑顔で映っている写真たてを見ながら、
どうしてこんな事で喧嘩になっちゃったんだろう。
今回も、あたしから一言謝れば済むことじゃない。
でも―。

そう、がたがたするのが好きではない私は、
喧嘩になりそうな雰囲気を察すれば先にご機嫌をとったり
すこしだけ我慢をして言い争わなくていいようにしていた。

けれど、それが私にとって苦痛ではなくて
どちらかといえば、望んでいることだった―はず。
今もそういう部分は変わらない。

相手に嫌な言葉を言わせる状況を作るのも、
ひどいことを言われるのも、好きじゃない。
仲直りをして、しこりの残るような疑いも。


勤めている会社のある、博多駅について
いつものように改札を出て、階段を上りバスターミナルを抜け
ビルの並ぶ歩道を足早に歩く。
見慣れた景色だけに意識を残し、ずっと考えていた。


―どうしていまさらこんなこと。
思い出したことが不思議で、思い出せない喧嘩の理由。

―思い出せない思い出なんてたくさんあるじゃない。
そう、別にこうすけとの別れをひきづっているわけじゃない。

仕事だってそれなりに任されているし、お給料もそこそこもらってる。
自分の時間がちゃんと持てて、今の生活に不満はない。
ただ、こうすけと別れてから恋愛をしていない、ということを除いては―。





2.
就業まであと1時間というところで、
気がつけば全然仕事がはかどっていない事を
後輩の神谷に指摘されて、手伝ってもらうことになった。

「体調、悪いんですか?」

「え?ううん、だいじょうぶよ。」

「でも、なんだか―。」

「ありがとう、ごめんね。早く終わらせよう!」

「はい。」



いけない。気をゆるすと、こうすけの事を考えている自分。
それを後輩に悟られるなんて、仕事に専念しなきゃ。

何かがおかしい―。

いまさら―。


神谷の手伝いもあって、なんとか就業時間までには
終わらせることができた。

「ほんとにありがとう。」

「いえいえ。大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫。今度このお礼、するわ。」

「いいですよ、そんな。 いつもお世話になってるし。」

「なんかおかしいのよ、今日。」

「おかしいですよ。」

「え?」

「ああ、いや。優しいっていうか、怒らないというか―。」

だから体調でも悪いんじゃないかと、
あ、いや出勤したら先にデスクに座って仕事してて
俺、スケジュール確認し忘れてて
これ、今日納期の仕事なのに、由香さんに任せっぱなしで―。

神谷はしどろもどろになりながら、言い訳をしていた。

「そうだ、これ担当神谷のじゃない。なんだ、じゃお礼はなしね。」

「ええー。 はい、すみません。」

神谷と話をしていると、自分のペースに戻る。
2歳年下だが、そこそこ仕事が出来るので、上司からかわいがられていて
担当以外の仕事も頼まれたり、ペアを組んでいる意味がないこともしばしばあったが
それでも、要領がいいのかきちんと仕事をこなす。

時折見せる、察しのいいところも、
こうやって気を遣ってくれるところも含めて頼りになる存在だった。

着替えを済ませ、エレベーターホールに行くと神谷が立っていた。



「由香さん、今日飲みに行きません?」






3.
帰りのタクシーの中で、神谷言った言葉を思い出していた。

「それって、まだその彼のこと好きってことじゃないですか?」

それはないわ。
確かにこうして思い出すことはあっても、
また連絡を取ろうとか、よりを戻そうなんて考えたことも無いし
第一、なんで別れたのかも覚えていないのよ?
ひきづるなら、もっと痛々しい終わり方したたりするじゃない?

「うーん、どうかなぁ。」

私自身が失恋したって思ってないのよ?
こうすけを失って哀しい思いもせずに自然消滅する程度の恋愛。
ひきづるだなんて―。

「ちゃんとその彼と終わってないからじゃないすか?」

終わってない―?
3年も前のことなのに?

「その、こうすけさんて人、今なにしてる人です?」

今―。

「わからない。」

こうすけ―?彼の性格じゃ会社辞めてないだろうし
あの時に勤めてた会社に今も居るんじゃないかしら。
たしか、別れる一月前くらいに転勤がどうって言ってたような―。

飲みすぎた、頭が痛い。疲れてる。
考え事のしすぎだわ、今日は早く寝よう―。





4.
目がさめても、頭の痛みは取れていなかった。
スーツも脱ぎっぱなしで、部屋は散らかっていた。

大抵、土曜日は大学時代からの友人と
映画や買い物に行く用事を入れているのだが
手帳を見ても、今日は空白だった。

こんな日はどこか出かけたいのに。
そう思ったが、頭痛薬を飲んでもうすこし横になることにした。

手帳をパラパラとめくっていた。

―なんで今日、予定いれてないんだろう?

沙織、デートの日だったかしら。
先週の土曜日から公開の映画を見に行こうと
話をしたのが、一昨日だったはず。



「土曜日、映画行こうよ。」

「土曜日―? うーん、その日はやめておこうよ。」

「どうして?」

「どうしてって、由香―。」

「え?」

「ほら、お給料日前だし!きっとまだ映画館混んでるよ。」

「うん、それなら再来週にしようっか。」

「うんうん。」


そうだ、沙織は何か歯切れの悪い言い方をしていたんだ。
今日―。

何かあったっけ―。








5.
日もすっかり高くなっていて、蒸し暑くて目が覚めた。
まだ脱ぎっぱなしのスーツを見て、一人暮らしを実感した。

そうだ、久しぶりに実家に帰ろうかな。
最後に帰ったのっていつだっけ、まだ涼しかった頃だから
6月、そのくらいかなぁ。

実家も同じ福岡県内にあって、帰ろうと思えばいつでも
帰れる距離が邪魔して足が遠のいていた。

「これから、そっち行くから。」

「ああ、ちょうどよかった、お父さんも居るから。」

「あ、そう。わかった。じゃ近くまで行ったら電話する。」


部屋を簡単に掃除をしてから行こう、
じゃないとまた帰ってきてめんどくさい。

窓を開けて、スーツを片付けて部屋のほこりをはたいて
ふとTVの上の写真立てに目がとまった。

―え?

そこには、こうすけと私が幸せそうに笑っている写真があった。

気づかなかった、今まで この写真ここに―?

そんなはずはない、3年前に別れた後片付けたはずよ。
写真も、思い出のモノも、もらった指輪も―。

左手の薬指には、鈍くひかり、傷だらけのプラチナリングが―。


急に鼓動が早くなる、嫌な汗をかいていた。
目をつむり、落ち着こうとした。

呼吸を整えて、もう一度そっと目を開いた。

部屋には、こうすけとの写真その横に
いつも置き忘れて行ったこうすけの吸っていた煙草の吸いかけと
私があげたジッポがあった。

頭が痛い―。








湿っぽい雰囲気



地面がゆがむような感覚



こうすけだけが映っている写真



お香の匂い



はっきりと目に映る、白と黒のストライプ―。

Noroom / canna*