アイスクリン
──まっことうまいアイスクリンを、一緒に食べましょうね。mio──
そう書かれたメールを飛行機の中で読み返しながら、にやけそうになる頬をさすってごまかした。
客観的に見たらただのスケベなオヤジだ。おれはおれにそう言い聞かせる。
「無事に着いたよ。そっち、体調はどう?」
高知空港に着いてすぐにおふくろに電話した。
おれの家、おやじが残した坂本電気店は、東京の下町の商店街の外れにある。
たった一泊というのに、ひとり置いてきたおふくろが急に気にかかったのは、高知の圧倒的に広い空を見て、遠くへ来たことを実感したせいかもしれない。
だが、そんな心配をよそに、おふくろの声は明るかった。
「うちのことは心配ないよ。夕飯時には淳子さんも来てくれるっていうし」
いや、その淳子に、あまり頼られても困る。
「できたらまた、茶碗蒸を作ってもらいたいねぇ。おまえからそう言っといておくれよ」
言えるか、そんなこと。
おやじが病気で亡くなって3年、会社を辞めて店を継いで5年。いつの間にかおれは40も目前という年になってしまった。恋人・・・と、まだ言えるのかどうか、5つ違いの淳子もいい年だ。
おふくろもすっかり弱々しくなった。あんなに嫌って結婚を反対していた淳子に、今更頼ったりするのがいい証拠だ。
淳子は同じ商店街のラーメン屋の一人娘。絵に描いたような頑固親父と二人暮らしだ。当然、あっちも一人息子のおれとの結婚には反対した。
反対されればされるほど燃え上がる。そういうことってあるだろう。幼なじみに近かったおれたちには反対されることも密かな刺激だった。
ところがそうこうしているうちに年ばかりくって、周りもすっかり諦めモード。
おれたちは戦う相手をなくし、前へ進むエネルギーもなくし、別れる理由もないまま、いいように枯れてしまった。
今でも淳子に愛着は感じている。 でももう、恋じゃない。
恋は、mioだ。
mioとはネットで知り合った。いわゆる出会い系とかではない。普通のチャットサイトでよく話すようになって、個人的に携帯のアドレスを交換したのだ。
おれは名字が「坂本」だから、ryomaというハンドルを名乗っていた。
mioがおれに興味を持ったのは、そのハンドルのせいだったかもしれない。
──わたし、坂本龍馬に憧れてるんです──
mioは最初にそう言った。
そうして、龍馬像の前で撮ったという写真を見せてくれた。
・・・可愛いかった。
年もまだ24歳。おれがいくつの時に生まれたんだ? 考えるのはよした。
mioのいる高知に着いたおれは、真っ先に桂浜に向かった。
mioと会うならそこがいい。住まいも近いはずだった。
おれは、頭の中で何度も想像した出会いの場面に、実際の高知の空の色と匂いを重ねてみる。
タクシーから眺める町はどこも明るかった。ごみごみとした下町の、高速道路が屋根みたいなおれの住む町とは大違いだ。
──ryomaさんと話していると、mioとても落ち着くの。──
mioはメールで毎日おれに話しかけてくれる。おれもmioにはなんでも話す。いやむしろ、いつの間にかmioにしか話さなくなってしまっている。
いいトシをしてと言われそうだが、おれの頭はmioでいっぱいだった。
mioが坂本龍馬を好きだと話すたび、ryomaが好きだと言われたようにさえ感じるほど。
──いつかきっと、高知に遊びに来てくださいね。──
はじめの頃は社交辞令として聞き流していた言葉が、だんだんと重みを持った。
会いたい。会ってみたい。おれにはmioが必要だ。きっとmioにも・・・
そう思ったらいてもたってもいられなくなって、ネットでチケットを取り、こうしてやって来てしまったおれ。
まったくどうかしている。
mioには「行くかもしれない」とだけ伝えていた。
「かもしれない」は、おれの為の精一杯のいいわけ。
──本当?! 本当に来ますか?! 嬉しい!
その時には、まっことうまいアイスクリン、一緒に食べましょうね。──
桂浜は想像していたよりも小さな浜だった。
だからこそ余計に、絵はがきのような風景。
おれはそこに立つmioを思い浮かべた。
絵葉書の中のmioとおれ・・・もうすぐだ。
ところが、mioに連絡しようと思って携帯を手にしたとき、唐突に淳子のことを思い出してしまった。
そうだ、茶碗蒸しのことを伝えた方がいいだろうか。留守中、おふくろのことをよろしくと、ひとこと言っておくべきだろうか。親しき仲にも礼儀ありかもしれない。
そういえばあいつとは旅行にも行ったことがない。ふたりとも高速道路の下の町で、親に振り回せれながら今日まできてしまって・・・
いやいや、淳子のことはいい。
たとえば、たとえば・・・だ。おれとmioがその、そういう関係になったとして、mioをおれの町に連れてくるなんてことを考えられるだろうか?
おれは桂浜のmioの映像を、高速道路の下に移してみた。
・・・できるはずがない。
ましてや、あのおふくろとうまくやれなんて言えるわけもない。
いったいおれはなんのためにここでmioと会おうとしているのだろう・・・。
アイスクリンを一緒に食って、それからどうする?
だいたい、mioはおれのことをどう思っているのかわからない。
おれが母ひとり子ひとりだってことは話してあったかな・・・
待て待て。
なにをおれは急に現実的になっているんだ?
この坂本龍馬の像のせい?
おい龍馬、その懐の右手には何を持っているんだ?
──高知に行くのはしばらく先になりそうだよ──
おれは来たことを伝える代わりに、携帯でmioにそうメールした。
会うかどうかは、mioの反応で決めようと思った。
──そのうち新婚旅行で行くことになるかもなぁ──
そう書き足したのも、ちょっとした賭だった。
メールを送信してから桂浜を見下ろす丘に登った。
屋台があってのぼりがはためいていた。 『まっことうまいアイスクリン』と書かれている。
「おばちゃん、ひとつちょうだい」
そう言って、小銭を出そうとしたときに携帯が鳴った。
さすが。mioのレスポンスは早い。
──ryomaさん結婚するんですか? おめでとうございます!
是非、お嫁さんを連れて高知に来てくださいね。
いいところですよ! 高知はとっても!──
おれは自分を笑いながら、アイスクリンをなめた。