婚前旅行をあなたと―
―拝啓
元気してる?
そっちでの生活には慣れた?
年賀状ありがとう。
もう来年の年賀状を書く時期になっちゃったけど。
相変わらず、私はくっついたりはなれたりで
加奈子のように幸せを掴む日はまだまだ遠そうです。
秋に、まとまったお休みが取れそうなので
そっちに行きたいと思うのだけど。
加奈子に赤ちゃんができるまえに出来なかった卒業旅行。
ふたりで温泉でも行かない?
奥飛騨まで足を伸ばしてみたいな。
携帯変わったよ。メアドも一緒に。
連絡待ってるね!
じゃぁまた。
加奈子から連絡が着たのは2日後の夜だった。
携帯番号も、メールアドレスも、
声も、笑い方も、変わっていなかった。
あの頃の二人を思い出しながら ネジをすこしだけ巻いた。
止まっていた針がチクタクと音をたてて動き出した。
―最近、どう?
変わったことと言えば加奈子の話す調子が、
すこしだけのんびりになっていた事くらいだった。
私は、スーツなんか着て大嫌いだった満員電車に揺られて
髪型の決まらない雨の日も、得意の「だるい」日も、
へたくそな愛想笑いを身につけた、と近況を加奈子に話した。
加奈子とは大学に入ったときに苗字の関係で
必修科目の授業の席が私の前だったことから始まった。
加奈子は週末にコンパに誘うと、
「 週末のバイトは祝日給がつくから
時給900円×8時間+延長でだいたい一万円でしょ。
バイトを休んで、コンパ行ってもさ
飲み代とかで5千円くらい軽く飛ぶじゃん。
そのうえ、稼ぐはずの1万円とあわせて1万5千円の出費。
一万五千円の価値のある男、来る?」
のんびり屋のくせに こういうことにはシビアだった加奈子は
道を外れそうになる私にこうも言った。
「 どうせ、由香も数合わせで誘われたんでしょ?
そんなの断って、映画でも見に行こうよ。
見たいのあるって言ってたじゃない?」
行きたくない誘いを正当な理由をつけて断ることが出来なかった私は
加奈子にそう言われるのをどこかで期待している部分もあった。
私は彼女が大好きだった。
ブランドだの、彼氏だの、コンパだのと男にキャーキャー言ってる
周りを全然気にしない加奈子は、
「 あたしらくらいの年齢で、いい男っていないじゃん?
今無理してそこそこの男と遊ぶくらいなら
バイトしてたほうがましよ。」
真っ直ぐな髪をいつも簡単にアップにしていて
小さな石のついたピアスをして
すらっとした脚はいつもジーンズで隠されていた。
そんな加奈子は卒業してすぐに6歳年上の商社マンと結婚をした。
2年後に、旦那さんの転勤に合わせて岐阜へ引越したのだった。
意外のような気もしたけれど
加奈子の花嫁姿を見てすぐにそんな思いはなくなっていた。
―あの映画見た?
「 旦那に行こうって誘ったら、イタリア映画は好きじゃないって言うの!
由香なら喜んで一緒に行ってくれるのに!って
この間話してたばかりなのよ。」
自由の証と頑なに時計を持ち歩かなかった加奈子は
自分で大学の費用を払っていることを私以外には隠していた。
加奈子の父は、まだバブリーな頃から
今がずっと続くわけが無いと、いつか厳しい時代がくると
お小遣いを渡すのは中学生までだ、と
2歳上のお兄さんと加奈子に言い聞かせてきた。
お兄さんが高校生になり牛丼屋でバイトを始めて
自分の稼いだお金でバイクを買い、彼女もできた。
深夜から早朝にかけて働き、そのまま大学に行っていたお兄さんは
彼女―加奈子があまりすきではなかった女性―
に高価なブランドもののバッグや
記念日には一泊ウン万円もするホテルを予約したりしていた。
そんなお兄さんを見ていて、浮ついた女には成りたくないというのが
自分で学費を払うことと、コンパだの飲み会だのに気軽に行かない理由だと
加奈子は常日頃から言っていた。
数回の食事と、お決まりのデートコースで落とされる女と
お金とモノで落とそうとする男。
どっちも嫌だと加奈子が言うから、私もそう思ってた。
そういえば未だに、加奈子の旦那さんとの出逢い話しは聞いていない。
聞く機会はたくさんあった。
けれど、聞かなくても不安に思うことは不思議となかった。
加奈子の選んだ道には間違いがないと思っていたからだろう。
いつも正しいと思える道をすこしだけ先を行く加奈子だからこそ。
―結婚するの?
「 久しぶりに由香から手紙が届いたから、
結婚の知らせかと思って旦那が帰ってくるのを待って
わくわくしながら二人で封を開けたのよ。」 と加奈子は言った。
今付き合っている人からプロポーズをされて迷ってるなんて、
温泉に浸かって、美味しいものを食べて
結婚がいいものだっていう加奈子の言葉を聞いてから
話そうと思っていた。
こういう察しのいいところも加奈子らしいと思った。
隠したままで逢いに行っても、逢ってから話をしても同じだと思った。
「 迷ってるんでしょ?
変わらないなぁ、由香は。
大学の頃からいつも悩むと私に回りくどく相談するんだから。」
ひさしぶりに加奈子に逢いたいんだよと
弁明をしたが聞き入れてもらえなかった。
「 だったら、あたしが東京に行くよー。
結婚相手にふさわしいかどうか見定めてあげる!」
結局―。
大学の頃と変わらない押しの強さに負けそうになったが
卒業旅行のやり直し!と私が岐阜へ行くことに決まった。
それから毎日が楽しかった。
旅行代理店に行って、加奈子の好きそうな旅館やサービス、
観光地を紹介してもらった。
加奈子の家の住所との距離や、
どこで降りればいいのか相談しに何度も足を運んだ。
岐阜駅だとばかりおもっていたが、どうやら加奈子の家に近いのは
岐阜羽島駅だとわかった。
それなら、東京から乗り換えなしで行けると担当の女性は言った。
加奈子に渡すお土産のかわりに
売っていないと嘆いていた加奈子のお気に入りの雑誌を買いに行ったり
着ていく服を選んだり、待ち遠しくてたまらなかった。
彼もそんな私を見て、喜んでいた。
「 楽しんでおいで。」
彼に加奈子を紹介したくて、一緒についてきてもらおうかと
思うくらいに、私は浮かれていた。
あの頃のように毎晩電話をして、旅館の話をしたり、
岐阜城に行ってみたいから道を調べておいてねとお願いをしたり
新しい20%増量のマスカラを加奈子用も買ったのよ、とか
他愛のない話をたくさんした。
出発を明日に控えた夜。
予想通りの大荷物をなんとかトランクに詰め込んで
加奈子にはメールだけ打ってベッドにはいった。
―明日から3日間よろしくお願いします。 由香
なかなか寝付けなくて、
遠足に行く前のこどもみたいだね、と彼に言われて可笑しかった。
逢ったらまず何を話そうだとか、
明日着ていこうとおもって出した洋服で大丈夫だとか
いつもより遅い時間になっても眠れる気がしなかった。
「起きられそうもないね、起こしてあげるよ。」
彼はそういって、ホットココアを作ってくれた。
私―。
この人と―。
―由香!
手を大きく振り、誰も居ないホームで飛び跳ねていた加奈子を見つけた。
新幹線の扉が開く時、加奈子は早く早くと扉を叩いていた。
「 決めたのね?」
「 顔を見ればわかるわよ。」 と加奈子は笑っていた。
「 それなら、彼つれてくればよかったのに!」
「 卒業旅行に男はいらないでしょ?」
「 それならうちの旦那にもどっか出かけてもらわなきゃね。」 と微笑んだ。
駐車場には年賀状で見た、背の高い落ち着いた印象の男性が
こちらに向かって手を振っていた。
「 私の、"どっかに行ってもらう人"よ。」
加奈子は笑顔で手を振り返しながらそんなことを言った。
「 卒業旅行のやり直しね!」
「 由香の独身最後の旅行!」
「 じゃぁ、これが―。」
顔を見合わせ、いたずらっこのように笑う加奈子。
口元の八重歯が一層可愛らしく見えた。
駅からまっすぐに伸びた広い道路の両脇には
収穫を間近に控えた陸穂が広がっていた。
遠くに、うっすらと山影が見えて雲ひとつない秋晴れだった。
私たちは、並んで駐車場へと歩きだした。
婚前旅行をあなたと―。