赤い屋根の家

山間部に映える、ひときわ大きく赤い屋根が目印でした。




母の実家は栃木の山あいにありました。
小さい頃は、夏休みなどに出かけると埼玉の家から車で6時間程かかったので、随分遠いところまで来たと思ったものです。
おじいさんが亡くなったとき、この里の辺りにはまだ土葬の風習が残っていることを知りました。
久しぶりに顔を合わせた、私を含め7人のいとこ達は特にすることもなく自然と台所の一隅に寄り添うように集まって、葬儀が始まるまでぎこちない会話をするしかありませんでした。
そうして、あいにくの雨の中行われた野辺送り。私は、遺影を持って佇む、伯母ちゃんのごつごつとしていてささくれ立った手だけをじっと見ていたのでした。
あれからもう何年か経つのに、私の結婚式に取ったばかりの免許で車を運転して来てくれた伯母ちゃんの手も、あのときと何一つ変わっていないように見えたのでした。




私に待望の第一子が誕生して1ヶ月程過ぎた頃、伯母ちゃんから煤けた封筒に入った手紙が届きました。


―子どもには愛情をかけて育てるように。


そこには、ろくに筆も執ったこともないけれど、気持ちの込められた文字がぺらぺらの便箋に所狭しとびっしり書かれていました。
三人娘の長女として生まれ、妹達、つまり、私の母などが嫁に出て行くのを見送り、田舎の貧しい農家を継いだ伯母ちゃん。その伯母ちゃんの三人の子どもも、長男さえみな家を出て行きました。朝から晩まで働いて、それでも食っていくことがやっとの農家の暮らし。


―私は子どものことを考える余裕はなく育児に失敗したけど、サツキちゃんは旦那さんと二人でたくさんたくさん愛情を与えてあげてください。


汚れた手で書いたのでしょうか。紙はところどころ乾いた泥で茶色くなっていました。


―こんなものしか送れませんが、赤ちゃんに何か買ってあげてください。


手紙の間に、くしゃくしゃになったものを無理に伸ばした一万円札が挟まっていました。こんな場面はあの有名なドラマ『北の国から』だけだと思っていました。




いつか、赤い屋根の下で一人でこの手紙を書いていた伯母ちゃんに大きくなった息子を見せに行こうと、そのときまでこの一万円札は取っておこうと、そっとへその緒と一緒にしまったのは5月の晴れた日のことでした。

eros / 颯木