Worlds

引っ越しの準備のため部屋を片付けていた。
最後に残ったのはたくさんの本たち。
全部持っていくのには多すぎるのに、
処分するのはもったいなく思えていた。

どうしたものかと勘案しながら
カバーのかかった本を1冊ずつ
手に取ってページを広げた。
そして懐かしい1冊を見つけた。



――「何かオススメの本ってありませんか」
僕の発したその一言が始まりだった。
陽子は突然の質問に本から目を離し僕の方を向いた。
最初は少し戸惑った様子を見せたけど、
すぐにいつもの愛想のいい笑顔を見せた。
「これなんてどうですか」
陽子はその時手に持っていた本を薦めてくれた。



それからいくらか本の話をしたけど、
それは何年も前のことだったから
僕の記憶は曖昧になってしまっていて
その後のやりとりは忘れてしまった。
ただ目の前にあるこの1冊が
たしかにあの日陽子が読んでいた本で
それからすぐに僕が読んだ本だったことは
忘れずにいられたようだった。

本の整理のことは頭からすっかり消え去って
僕はその1冊を持ってベッドの上に寝そべり
思い出の詰まったページを
ゆっくりとめくっていった。



――あの日以来、陽子と僕はよく話すようになった。
それまで単なるバイトの同僚だった二人が
一緒に出かけたりするようになっていった。
最初はもっぱら本屋にばかり行って、
あの本を読んだことがあるだとか、
この本は面白かっただとか、
そういう話をしているだけだった。
でも同じ趣味を持っていて話も合う二人が
仲を深めていくためには
それほど長い時間は必要なかった。



その本を半分ほどまで読み進めると
ページの間に1枚の写真が挟まっていることに気づいた。
それは二人で撮ったものだった。
写真の中の二人はとてもいい顔で笑っていた。

僕はまた懐かしい思いに捕らわれてしまって、
陽子と一緒に過ごしていた時間に思いを馳せた。
その隙に写真はページの間からはらりと落ち、
床の上にそっと這うように降りた。



――「本ってすごいよね」
それが陽子の口癖だった。
「こんな紙の上に長い時間と広い空間があって、
書き手の主観も変わりえない真理もあって、
私たちはそれに少しの間触れることができるの」
僕も陽子と同じようなことを考えていた。
彼女の言葉は僕の心の中にあった本への思いと
何も変わることがなかった。



ページを開くと目の前に広がるのは
作者が創り出した世界と
僕の頭の中の様々な思い出だった。

我に返って本棚に目をやると、
そこには無数の世界が広がっていた。
僕は僕が触れてきたいくつもの世界を
いつまでも大事にしたいと思った。

ベッドから起き上がって
その本を本棚に戻した。
かがんで床に腕を伸ばして
伏せている写真を拾った。
そこには本の中にあるそれと
何も変わることのない空間と時間。



引っ越しの日、多すぎる本も大きな本棚も
全て次の家に持ち運んだ。
新しい生活の前に綺麗なフォトフレームを用意して
その中に大切な思い出をしまった。

いくつもの世界がひしめきあうその宇宙で
僕は陽子と二人の世界を
他のいくつもの世界にそっと添わせる。

World With Words / Tomo