紅色の若君

春はそぞろに夢ごころ
一度まみえしお若衆の
花に浮かびし面影が
ついそのままに忘れかね


ついそのままに忘れかね







そのお若衆はとても立派なな袴を穿いていらっしゃいました。
紫袴ともなれば、それはもう大層な身分のお方でしょう。
しかしながらむせかえる香りの海に埋もれた私(わたくし)を、貴方様は見つけてくださいました。


「名はなんと仰る?」


嗚呼

その一言を
たった一言を
何方からかに欲して居たのです。
望まれない私、望まない私。
まさか名を尋ねられるなんて。

至極この上のうございます。


けれど
なんと答えましょう


嗚呼

真実に近い言葉を


「寺の屏風に住む藤娘ですわ。」


貴方様の頬は少し紅潮致しました。
お酒の入った御顔でしょうか、今まで目にしたことないような美しい顔。
私の化粧道具の中にも、そんなお色はございません。



気づかれたでしょう

私の気持ちに


あなたを想っておりますと

一目で恋に落ちました。


気づかれたでしょう

卑しい気持ちに


あなたに抱いて欲しいのです

一目で恋に落ちました。



一時時間が流れると、貴方様はそっと手を差し伸べて下さいました。
私が焦がれ焦がれ欲した指先。
人間の温度。
その先を踏み出そうとした私に、ぴしゃりとお声がかかりました。

「呼ばれております。」

はしたなく不機嫌にならないよう、細心の注意をはらって私はそう申しました。

「行かなくてよい。」
「そんなわけには...。」

その場から離れたくないのは私も山々でありました。
けれど行かなければならないのです、行かなければならないのです。
元々人と触れ合えない醜女です。
太陽のように明るい殿方と、このように話せたこと自体が私の一生の思い出になりましょう。
諦めましょう、手を振りましょう。

「...引き止めて悪かったね。行きなさい。」

ぽんと背中を押されると、私は俯き一礼致しました。



体が枯れるかと思うくらい泣き、私の中に咲いた貴方様の御顔を思い出しました。
元の場所に戻っても苦しく、次に生まれ変わったら紅売りになろうと思いました。

キャッチャー・イン・ザ・ライ / 蒼樹宇明