群青色のさよなら

空が赤く染まりオレンジ色になって青が濃くなっていく。
この一瞬が、私にとっては永遠である。

群青色のお互いの姿を見てキスをしてさよならをした。
私は群青色が藍色に変る時間も見たいと思うけれども、
口にはださない。

私は、帰らないと心配する人たちがいる。
本当はこの場所であの人とずっといたいと思う。
この場所を出てしまったら、私たちにはまるで接点がない。
この守られた場所にいるからこそ私には価値があるのかもしれない。

恋に落ちたのは突然だった。
あの人が無防備に寝ている姿を準備室で見かけてしまった。
今日と同じように空が赤く染まっていて
白いあの人の顔がカーテンに反射した赤によって綺麗に染められていた。
私は、目を奪われドアをそっとしめその寝顔を独り占めにした。
息を殺してその寝顔を見つめていた。
すると目がそっとあきあの人はキョロキョロと黒目だけ動かして
しまったという顔をした。
そうして、ゆっくり私に気がついた。
「水島、どうした?」
先生は、目をこすりながら言う。
「先生寝てるから。」
「先生に何かようか?」
「ううん。忘れちゃった。」
「変なやつだな。」
「うん。」
さっきの寝顔が私の心を縛り付けていて熱に浮かされていたような返事をしていたと思う。
あの人は、外に目をやる。
「もうこんな時間だ。水島は、部活かなにかか?」
「ううん。」
先生は、椅子から立ち上がってカーテンを閉める。
カーテンも紅く染まり教室全体が紅くなる。
自分たちが影絵の中の登場人物みたいだ。
「そうか。」
「先生はいつも一人で寝てるの?」
「いつもじゃないけどな、たまに隠れて寝てるよ。職員室にいると主任の先生の小言がうるさくてな。」
「カネコバァはうるさいよね。」
「金子先生のことそんな風に言うもんじゃない。あの人は、生徒思いでいい人だよ。ちょっと一言多いだけで。」
ふふっと私は鼻で笑った。
「おそいぞ。もう帰れ。」
「はーい。」
「はい。じゃ、さようなら。」
先生は、顔の横で軽く手を振った。
それを、左目でとらえながら私は準備室を出る。

廊下で、ドクドクする心臓を静まれ静まれと指示しながら
全然言うこと聞かない心臓にこぶしを当ててとんとん叩いたりした。

さっきまで赤色に染まっていた空は、もうすでに藍色だった。

先生のことは、何にも知らない。
独身。
29歳。
恋人はいるかどうかは知らない。
どこに住んでるのかも知らない。
たとえ恋人がいたとしても
その人がが知らないこともきっと知っていると思う。
白衣の裾でチョークの粉をはたくから色づいていること。
職員室が嫌いでいつも準備室にいること。
私の事を水島って優しい声で呼ぶこと。

それだけで十分だと思う。

それから、私は放課後用事がない日は、
友達の集団から抜け出して準備室に顔を出すようになった。
先生は、大抵寝ている。
私は、その寝顔を堪能する。
日が暮れて先生の顔を赤く染め暗くなると先生は目覚める。

「お、水島またいたのか?」

先生は決まって同じセリフを言う。
私は、うなずく。

今日あった授業の面白かったこととかを話したり、
他の先生の悪口を言ったりする。
先生は黙って聞いている。
空が群青色になった頃、先生はまた決まって同じセリフを言う。
「もう、暗いぞ。早く帰らないと変なやつらがおおいからな。」という。
私は、
「そうだね。」と相槌を打って先生にさよならをする。
そうやって私たちは、特別な話をすることなく毎日を過ごした。
私は、先生の中に少しでも残ってくれればいいという
邪まな気持ちを持ちながら……

高校2三年生になると、周りの友達はどこから見つけてきたのか
わからないけれども、突然現れた竜巻のように皆、どこからか彼氏を見つけて付き合い始めた。

「水島は彼氏とかつくらないの?」と聞く。
「うーん。恋とかよくわからないんだよね。」と言う。
「水島可愛いのに。彼氏の友達が紹介して欲しいって言ってたよ。」
私は、
「知らない人といきなり話すなんてできないよ」と笑う。

恋がなんだかは、私はわからない。
たとえば、誰かを好きになったとしてもそれが恋ですよって
誰がおしえてくれるのだろう?
どっかで誰かがそれは恋だと旗でもあげてくれるのだろうか?
あ、旗があがった私はこの人の事が好きなんだって。
そんな風に、私は自分のひねていた。
自分の気持ちに向き合うこともなかった。

準備室を覗きに行くと先生は、相変わらず気持ちよさそうに
居眠りをしている。

先生の頬が紅色にそまる頃…目が開いた。
「お、水島」
そのいつも通りの返事を聞いたとたん、ダムが決壊するように言葉が口を出た。
「先生のこと好きみたい。」
「そうか」
「そうか?それだけ言うことは?」
私は、小さな声で笑った。
「あぁ。うーん。そうか」
「やっぱりそうかなんだ」
「あぁ。うーん」
私は、椅子にちっちゃく座っている先生の唇めがけてキスをした。
先生は、目をあけたまんまだと思う。
「あぁ。そうか。俺に隙があったか?」
「準備室で寝てること自体が隙だらけだと思うけど」
制服のスカートの汚れを払いながら皺がつかないように丁寧に椅子に座った。
「あぁ。そうか」
「お前は、もう帰れ」
「さっきの返事は?」
「返事が欲しいなんてきいてない」
先生は怒ったように言う。
「そか、突然ごめんなさい。じゃ、帰ります。また明日。」
私は、ひどく悲しい気持ちになって群青色になった準備室を出た。
それから、暫く私は準備室に顔を出すようなことはしなかった。

放課後、まっすぐ帰ろうとすると由香に呼び止められた。
「どうしたの?準備室行かないの?」
「何で知ってるの?」
「なんででしょぅ?」
由香は、口をウの形のまま私の返事を待つ。
私は、その唇を眺めながら先生のことを思い出していた。
「わかんない。」
「2、3回準備室に入る水島を見かけたことがあるんだ」
「先生のことが好きなの?」
「よくわからない」
「よくわからない?」
「うん。わかんない。恋とかなんだかよくわかんないよ。でも、先生に会いたい。家に帰ってもどこにいても誰といても先生に会いたい」
「はは、雑誌の相談のページ読んでみなよ。そんなことがわんさか書かれてるよ。」

私は家に帰って由香に言われたように雑誌の読者のページみたいなのを読んだ。
そして、一人で大笑いした。
なんだぁと思って…

放課後、前と同じように準備室に行く。
扉の隙間からそっと中を覗くと先生は、眠っていなかった。
「水島か?」
声が聞こえる。
私は、びっくりして扉を開けて中に入る。
「先生なんでわかったの?」
「なんとなくな。」
「なんとなくか…」
「最近、こなくて寂しかった?」
「いや。でも、なんか悪いことしたなと思ってな」
「悪いこと?」
「あぁ。」
「先生、私のこと好き?」
「どうだろう」
「私は先生のこと好きだよ。ずっと先生の寝顔を見てた。夕焼けで先生の白い頬が紅く染まるのもずっと見てた。」
「あぁ。そうか」
「振られちゃった。はは」
「ごめんな」
「突然、キスしたり反則しちゃったからしょうがないよ」

準備室が、紅く染まり藍色に向かって流れ星のように色が変る。

「じゃ、帰ります」
「あぁ。気をつけて」

私は準備室を後にする。
廊下を歩いていると、突然涙がこぼれだす。
透明の涙は、周りの群青色に包まれて色が変る。

それから、卒業まで一度も準備室に行くことはなかった。
卒業式を終えて皆が写真を撮ったり、お別れ会どうする?なんて
話をしているときに私はそっと抜け出して準備室に向かった。
なんとなく先生が待っていてくれているような気がしたから。

扉の隙間から部屋の中をこっそり覗くと先生は、スーツの上着を脱いで
椅子であの時と同じように寝ていた。
寂しげな夕焼けが胸に詰まる。
そっと、扉をしめて部屋に入る。
先生を起こさないように、先生の前にしゃがみこんで寝顔を覗き込む。
5分以上息をしていなかったんじゃないかと思うぐらい
私胸は苦しくなった。

先生のまぶたがゆっくり開く。
もう寝顔が見れないと思うと残念でしょうがない。手足をジタバタしてそれを防げるなら私はそうするだろう。
眠れる森にみ所を見つけた王子様は、きっと起こすつもりなんかなくて、眠っている顔にたまたまキスをしたら起きてしまっただけなのだ。
「おぉ。水島か。」
「うん。」
「卒業おめでとう」
「ありがとう」
「わたし、やっぱり先生のことが好き」
「ありがとう」
「卒業しても会いに来ていい?」
何もかも拒絶して言う。
「だめだ」
「どうしても?」
「あぁ。どうしてもだ」
「なんで?」
「僕は、学校に囚われてるんだ」
「どういう意味?」
「学校の外には出られないって事さ」
「意味わかんない」
「外に出たらきっと幻滅するさ」
先生が情けない声を出すので、私はあわてて先生の言葉をさえぎった。
「そんなことない」
「いや、そんなことあるよ」
「そんなことない」
「いや、そんなもんさ」
先生の返事には、なぜか納得するものがあった。
この人は、この場所しか知らないんだと。
そして、私はこの場所から出て行かないといけないんだと思う。
先生は、難儀な職業だ。
「じゃ、これでさよなら?」

さっきまで私の胸を詰まらせていた紅色は、いつのまにか姿をかえ
私たちの姿を群青色にする。

「そうだね。さよならだ」
キッパリとした声で言う。
「最後にキスしていい?」
卒業したら言おうと思っていたお願いをする。
「うーん」
「だめ?もう最後でしょ?」
先生は、私をそっと引き寄せて唇を合わせた。

群青色が私たちのさよなら全てを包んでいた。

ぽわり / うり