見たことがある風景だと思った。


この手の既視感と云うのは、
慥か実際には遍くただの錯覚だと聞いたことがある。
人間の「記憶」と云うものの構造上、
脳が過去の記憶と現在の風景を同じものだと
誤認識した場合に起こるのだとか。

根拠の希薄な話だけれど、
当時は豪く賢くなったように思えたものだ。
けれど余りにロマンがなかったから
信じないけれど面白い話だねと云ったら
先輩は私のその回答が甚く気に入ったらしく
今度また自分がそういう知識を得た場合には
君のお陰で自分の気持ちのいい解釈の仕方が
出来るようになる筈だろうと微笑んだ。
俺達はまだ夢を捨てるには若過ぎるよね、とも。

あまりにクサイ台詞だったから、
私はそれを胸にずっと秘めた侭だ。


だから初めて訪れたこの場所でデジャヴを感じた私は
とても運命的に思えてロマンティックな気分になっていた。
同時に、昔は既視感を得た時「夢で見た」と云っていた事も思い出した。
果たしてそれは本当に夢でみた風景だったのかもしれないけれど。
我ながら酷くノスタルジックだ。


久しぶりに再会した先輩は余りに当時と変わらず、
寧ろ当時より若返っているようにすら思えて
私はうっかり、先ほど感じたデジャヴと
昔は先輩のことがとても好きだったことを話してしまった。
酔っていたのかもしれない。

先輩は、何でその当時に云わなかったんだよと笑った。
だから私は好き過ぎて云えなかったのだと
余り建設的ではない返答をした。

笑顔を返すことは出来なかった。


もうあの頃のように会うことは出来ないし
こうして一緒にお酒を飲むことも
次が果たしてあるのかは判らない。

帰り際、先輩は昔と同じように、当たり前のように
私を家まで送ってくれた。
そして帰り際に忘れ物を思い出したかのように
俺もあの場所でデジャヴ感じたんだよねと云った。

手を振って去って行った先輩は、
矢張り当時と全く一緒だった。
同じ笑顔をしていた。

多分それも
私の貧相な記憶装置に拠る錯覚だったのだろうけれど。



私は今日、
再びあの場所に立って、
矢張り酷くノスタルジックになっている。
デジャヴはもう感じない。
既に知っている場所だからだろうか。

約束を入れていた不動産屋は
思っていたよりもずっと寂れていて家庭的な雰囲気だった。
母親くらいの年代の女性が
少し煮立って濃くなった珈琲を出してくれた。
苦い珈琲に砂糖も入れぬ侭、
私は希望の物件を簡潔に話した。

向かいに坐った恰幅の良い不動産屋の店主は
先輩と同じ笑顔をして私に次々と間取り図を見せてくれた。
軽い眩暈がした。


多分、この街に住む。

思い出だけを頼りに生きるのは
酷く後ろ向きで私らしくないけれど、
私らしさなんて一度も求めたりしなかった先輩への
私に出来る精一杯の供養だ。


もう一度だけ会いたい。

そう思うだけで身体中締め付けられるような
息苦しさを覚える。
理性では会える筈がないことなどとっくに承知していて
厭になるほど思い知っているのに
それでもまだ私はもう一度会いたいと思ってしまうのだ。
夢でも幻でもいいから、と。


あの手にもっと触れていれば良かった。
真っ直ぐ目を見て話せば良かった。
こんなに沢山の後悔があるのに、
思い出せばその度にこんなに辛いのに、
私はまだ必死で思い出そうとする。
ひとつひとつ思い出していないと
丸で全て忘れてしまうのかのように懸命に。
忘れてしまうことが罪であるかのように。

煮え立った苦い珈琲を飲み干しても、
私の内奥に痞えた塊は溜飲されなかった。
店主が慌ててティッシュを差し出してもまだ
私は自分が泣いていることに気づかなかった。

深海浮遊 / minimurin